2010年12月8日水曜日

バケツ稲

各種バケツを占領

自然の家ではふつう家庭菜園では作らないような作物も育てていました。

こだわりの集いでもソバをはじめ、大豆小麦こんにゃくいもなどを植えて、豆腐、うどん、パン、こんにゃくなどいろいろな加工品を作りました。

順序で言えば、集いの始まった夏の終わりにまずソバをまき、その収穫の頃に小麦をまいて真冬の1月に麦踏みをし、初夏にこんにゃくいもを植え付け、6月には麦刈りと大豆の種まきでした。(春以降の作業は集いの2期目)

メンバー各自が家庭で稲を育ててみようという試みもありました。
以前から聞いてはいた“バケツ稲”というもので、たしか子供用の学習キットをそのまま使いました。

まず種もみを数日水にかして(=漬けて)から、数粒づつをバケツ(底の深いもの)数個に分けて土に埋めます。
土は適当に用意したもので、とくに肥料などは入れなかったはずですが、水の調節だけでしっかり穂をつけてくれました。

夏の土用(7月20日前後からの10日間ほど)にはしっかり土用干し(一定期間水を抜いて根の張りをよくする)もして、稲の花の観察(開花日の朝、ごく短い間だけ見られます)もできました。

そして最後にとれたお米は茶碗一杯にもなったでしょうか。せっかく作った初めてのお米なので、しっかり食べたような食べなかったような…。
食べたとすれば、もちろんそれだけでは少なすぎたので別に米を足して炊いたのでしょう。

八十八の手間といいますが、それはちゃんと田んぼで作る場合の話で、われわれにお百姓さんの苦労がわかったとは言いがたいと思います。
ただ例えば子どものいる家庭ならいい教育材料にはなるでしょう。
都会の子どもには田んぼすら珍しいかもしれないので、日本人の基本として一度は体験してみるべきでは。

そういえば小学校の頃、校庭の片隅に田んぼが作ってあって、校長先生がひとりで淡々と稲を育てていたような気もするが…。

4 件のコメント:

  1. 子供たちの行っていた小学校でも、高学年になると、バケツ稲をしていました。でもそれだけだと、ちょっとしか収穫出来ないので、校庭の傍らに別途田んぼを作ってそこでも作って最終的には学校で食べたと思います。あと、味噌つくりもしていました。あのあたりは、多摩川を渡るとすぐ東京なのですが、まだまだ畑や田んぼも残っていて、地域と小学校の繋がりが強く、いろいろと協力があったから出来ていることだと思います。

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  2. 東京で暮らした子供時代は、田んぼをまったく見たことがなかったです。小さな川などもなく、本を見てかえるや水生昆虫なんかに憧れていました。

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  3. え!小学校の頃、確か近くでしたよね?
    私の行ってた小学校のあたりは地主さんがとても協力的で、畑も田んぼも小学校に貸してくれていて芋ほり、いなご観察なんかしてましたよ。
    肥やしもあって、そこに子供が落ちて、そのまま学校に戻ってきてしまって大変だったのを今も良く覚えています。

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  4. 畑はたしかにけっこう残っていたんですが、田んぼは記憶にないのです。そういえば近所の空き地の水たまりを“ぬま”といってヤゴを取ったのは覚えています。肥溜めは畑の脇にあったようです。

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