2011年8月29日月曜日

夢はせつない…

東京を離れてもう15年以上たつのに、いまだに東京の平和ビル(賃貸の旧宅)が舞台の夢を見る。
何年前からか、ようやくここ徳山の夢を見るようになった。

さすがに1年ちょっとしかいなかった下田が夢に出てくることは滅多にないが、どういうわけか今でもかの地に一室をキープしていて、たまに訪問するという内容の夢は見ることがある。
その下田の部屋はドアが壊れていて、夜寝ていてもいつも誰かが開けて入ってこようとするので、必死で応戦しなければならない。
東京の夢でも、夜ふと気になってドアのカギを閉めに行くと、閉める瞬間に必ず誰かが外から開けて侵入してくる。

そういえば一昨年、大島に部屋を借りたとき、まず物置の扉が壊れ、部屋のドアがしっかり閉まらなくなり、続いて自宅の部屋のドアが破れ、車のウインドウが閉まらなくなるということが立て続けに“現実に”起きた。

ふだん夢で見ていることがこうして次々に実際に起こるとさすがに怖かった。

東京で平和ビルに暮らしていた当時、それ以前の私たち兄妹の最初の家、泉マンションが夢に出てくることがあった。
これは平和ビルから泉マンションへ逆戻りしてしまう、一家が落ちぶれていく状況のとても切ない夢であった。
なんと妹もこれとほぼ同じ夢をよく見ていたらしい。
われわれきょうだいにとっては、あの泉マンションの記憶というのはよほど物悲しいものだったのだろう。

2011年8月25日木曜日

箱庭療法

前に畑でその人の人となりがわかるということを書いたが、この一種の自己表現をセラピーの手段としたのが箱庭療法というやつである。
本来はテーブル大の枠の中に砂や玩具を使って自由に表現させるもので、かつてその専門の本を買ってみたが、なるほど多種多様な表現があって、中には本当に精神の暗部がまざまざと表れていてグロテスクなものなど、当時心理学に多少色気があったので面白かった。
私もいつか専門の指導者のもとで試してみたいと思うが、これを無意識に日々やっているヒトがいる。

ウチの父である。
実際に家の庭でやっているので、空中から見下ろせば見事に箱庭療法になっているはずである。
何も知らないよその人が見れば、まあきれいなお庭、と褒めるかもしれないが、家族はその異様なまでの神経質な管理を知っている。
それは母に言わせれば、ちゃんと木や植物をわかった手入れではない、ということになる。
たしかにあそこまで、雑草一本なくなるまで土をむき出しにしてはいけない。

何より気持ち悪いのがプランターやら鉢類の並べ方である。
ニュアンスが難しいが、私たちにはとても気持ち悪く見える。
例えて言えば、うなぎの寝床とか、なにかの動物の群れがいっせいに同じ方向を向いている、といった感じ。
父のグロテスクな内面の表れなのか?
とにかくモノを並べるヒトである。
母は玄関に父の帽子が並べてあるのも大きらいである。

妹と私はこれを父の自己セラピーと呼んで、あれで本人は精神のバランスをとっていると解釈している。
そういえば東京にいた頃から、やたらと(あの狭い)家の模様替えをするヒトだった。
今だに自分の部屋の模様替えは月に一度はやっているようだ。

かく言う私自身も、立派に父の血を継いでいるせいで、自分でもイヤになるくらい神経質である。
私と接する人は、その言動で(こういった文章の書き方でも)大体わかるはずである。
ところが父の場合、他人からあまり神経質な人とは思われていない気がする。
むしろ豪快で大らかな性格と誤解されているフシがある。
ここがわが父の複雑な所で、じつは私もあるていど大きくなるまでわからなかった。

人はみな、自分の狭い“律”の中で生きている、生きざるをえないのだと、作家の色川武大氏が書いている。
父を見ていると何となくわかる気がする。

2011年8月22日月曜日

いつまでもあると思うな、親と…。

ついにわたくしにも死が迫ってまいりました。
自分だけは関係ない、心配無用…と、思い込んでおりました。
わが父が若い頃からあの状態でしたが、自分は母方の遺伝が強いものと…。

髪が、頭頂部のあたりが信じられないくらい薄くなっているのです。
気づいたのはいつもの美容院でのカットのあとでした。
「たしかに…」
プロの目でハッキリと認定されてしまいました。

この春以降の不調時に、妙にフケが出て、よくこすっていたので、一時的に薄くなったのかもしれません。
マユ毛もそれで薄いままだし。
でも生え際が全体的に上がってきているし、ついにキタかと。

思えばこの年までほとんど心配なかったことのほうが幸運だったのかもしれません。
あれだけさかんにテレビCMで煽っているのをまったく人ごとと思い、はるかに若くして悩む友人知人にほとんど理解を示さず、自分は完全に“健康体”だと思い上がっていた!

いまごろだから、こうしてあっけらかんと告白できるのかもしれません。
でも気づいて2、3日はじつに惨めったらしい気分でした。
花も咲かずに枯れていくのか…(リアル)。


これからしばらくハゲネタで書いていくぞう(涙)。

2011年8月19日金曜日

なんでも食べれて幸せか

年間自殺者28万7,000人(02年)
精神障害1億人以上(09年)→人口100人中13人
子どもの3分の2が何らかの精神障害(北京市)

いま中国が経済発展著しく、それにともなって食生活に激変が生じている。
経済発展の度合いに従って肉食の比率が増えるというのが定説で、まあ肉に限らないが、とにかく今まで食べてこなかったようなものを食べられるようになったわけだ。
これを一般には食生活の向上などというが、はたしてそうだろうか。
おそらく日本同様、成人病が増えているだろうし、社会的ストレス等とも相まって上記のような精神面への影響まで疑われる。

前回のタイトルの“食ジプシー”というのは、私のように“正しい”食を求めてさまよう人々のことを言っているのだが(“原発ジプシー”からもらいました)、経済力でなんでもありの混乱した世界で、ほんらいあったはずの日本人の体に相応しい食が何なのか“考えなければならない”状況だ。
おそらく玄米正食というのはそうした状況下での絶対解たらんとするので、価値の多様性を信じる我々にとって違和感を感じるのだと思う。

だがこと食にかんしては、ある地域に暮らす人々にとって、それほどの選択肢があるわけではない。
たとえばヨーロッパの人々とくらべて、我々日本人は肉食への適合性が低いだろうというのは何となくわかると思う。
例の身土不二だろう、でも明治の文明開化の頃から日本人も肉を食べてきてるじゃないか、もういいかげん慣れただろう、と言われるかもしれない。
でもひとつの民族の食性というのは保守的で、百年かそこらで変化・適応できるものではない。
日本の気候風土じたい、気候変動が激しいとはいえ、それほど変化したわけではないのだから、そこに暮らす日本人の体も変わる必要がない。

世の中の変わりよう(けして進歩と言いたくない)の激しさにヒトの体が着いていけていない。
IT、グローバリズム等々で情報ばかりが先行し、日本人だけでなく(比較的)肉を食べていい欧米人も健康体めざしてマクロビ始めたり、そのせいで逆に体調悪くして(笑)元に戻ったり、(アンジェリーナ・ジョリーがそうらしい。マドンナはまだ玄米食べてるのかな?)もう混乱の極みとしか言いようがない。

欲望の果てに、なんでも食べられるというのは、じつはとても不幸せなことかもしれない。
その行き過ぎたさまが、ひとりの人間の体では病気として表れ、世界的には食料の偏在、生態系の破壊にまで及ぶ。


こんどはあえてなにも食べない、断食というやつにチャレンジしてみようかと思っている。
食ジプシーの遍歴はつづく。

2011年8月17日水曜日

食ジプシー

下田での集まりの時、よく玄米食をやめてしまう人たちの話になった。
駆け出しの私は玄米ご飯の身に沁みるおいしさがわかりだしていたので、これをやめてしまうなんてもったいないし、ちょっと考えられませんと言った。
師曰く、玄米食の質素なおかずに物足りなくなって動物性のものに手を出すうち、玄米が重く感じられるようになってやめてしまうとのことだった。

結局私も例外足りえず、その後10年ほど続けた玄米食も、家族の食事との兼ね合いや体質改善への疑問などがあってやめるはめになってしまったのだった。
とはいえ玄米ご飯そのものは変わらず好きだし、季節の汁物と少しの野菜のおかずでゆっくりといただくあの食事スタイルは体も心も満たされていいものだ。

数年前から、日本でもマクロビオティックが少しずつ知られるようになってきた。
おもにダイエット目的のようだが、ちゃんと理解して取り組めば生き方全般を見直すきっかけになるかもしれない。
マクロビはじつは日本発祥なのだが、欧米のベジタリアンたちに受け入れられたらしい。
ベジタリアン(菜食主義者)のスタイル、動機はさまざまで、もちろん体のために始めた場合も多いだろうが、むしろ肉食に対するアンチテーゼの側面が大きいようだ。
そしてやめる理由も、肉の誘惑に負けてしまうことが多いらしい。
つまり非常に観念的に菜食を取り入れていて、そこにヨーロッパ人のコンプレックスを感じてしまう。

では自分はどうだったか。
動機はもちろん健康回復のためだったが、それまで自然に口にしていた肉類をやめる時は、たぶんわりとすんなりと、フィジカルな抵抗感はさほど感じなかった気がする。
じつは魚を食べていたのでマクロビアンでもベジタリアンでもないのだが、肉に関する意識が明らかに変わってきた。
そう、意識。
たとえば肉を食べる人に対するなんとはなしの嫌悪感。(その当時の話です)
ひいては肉食民族といった偏見や、世界にはびこる諸問題をとかく肉食に結びつけて考えてしまう等々。

ひとつの食の実践が、なんらかの思想傾向や主義主張と結びついてしまう。
宗教的な食のタブーに近いものも感じる。

玄米食体験というのは、私にとって健康面よりもむしろ精神面、ものの考え方に大きく影響したのはたしかだ。

2011年8月15日月曜日

夏の暑さに対応できなくなっている日本人?

先日、ひさしぶりに山口市内まで小一時間ほどのドライブ。
道中ほとんどずっと田んぼの青々とした中をじつに爽快に走り抜ける。
もう実り始めた稲穂から微かにおコメの香りが漂ってくる。
こちらに来て間もない頃にこの匂いを体験した都会人の感動は、あまり地元の人にはわかってもらえなかった。
今年は大変な年になってしまったが、こうして今年も稲穂が実る田んぼの景色はほんとうに心和むものであり、これだけは絶対失いたくない。



今年も情け容赦なく猛暑がやってきた。
すでに熱中症で何人もの死者が出ていると聞く。
床屋の主人とも話したのだが、昔はこんなに熱中症なんて聞かなかった。
ご丁寧にテレビのアナウンサーが、やれ寝る前に水を飲め、塩分も採れ、昼間の外出を控えろといろいろ言ってくれる。
けっこうお年寄りが室内で倒れるらしく、節電はいいからちゃんと冷房つけなさいなどとあれこれ言って混乱させている。
はたして日本人ってこんなに頼りない民族だったろうか?

それほどまでに近年の気候変動が激しいのも確かだろう。
でもそれ以上に激しいのが、日本の社会全体のあまりの変わりようである。

まず若い人たちは、おそらく環境の変化に対応する術というものをほとんど持ち合わせていない。
それは単に未熟という話ではなく、日常生活に芯がないからだと思う。
水分補給ひとつとっても、普段どういう水の飲み方をしているのか。
夏には夏の食べ方というものがあることをわかっているのか。
そもそも暑けりゃ人間動きが鈍くなるのは当たり前だが、それでも世の中全体が季節に関係なく過酷な要求を突きつけてくる。

問題なのは長く生きてきたはずの高齢者の意外な脆さである。
ひとつには冷房に対する抵抗感があって、これはあまりにも短期間で夏の室内環境を激変させた日本の社会のありようとも関連する。
とくに都会では密集した建物でかつての風通しのよさは失われ、人工的な環境に馴染まざるをえない状況を作り上げてしまっているが、たぶんいまのお年寄りは、そもそも冷房というものに馴染めない体なんじゃないか。
長く生きた人には相応の生きる知恵というものが誰しもあると思うのだが、それでも対応できないほど日本が激変したのだろう。


フィジカルだのメンタルだの、いちいち考えて行動しているのでは遅い。
日本人が本来持っていたはずの直観、判断力、いのちを守る知恵。

熱中症という現象をめぐっての私の雑感だが、こういう指摘を新聞紙面などであまり目にすることがない。

2011年8月7日日曜日

なにを食べたらいいのか

畑を始めた15年前、下田でいろんな人たちとめぐりあい、率直に自分の境遇を打ち明けて、いろいろな新しい考え方に出会いました。
玄米食との出会いもそのうちの大きなひとつです。

玄米正食といって、病気を克服するための厳密なやりかたもあるのですが、あまりそれにとらわれずできる範囲からやればいいとのことだったので、楽な気持ちで入っていけたのだと思います。
でも下田で玄米を食べる人たちと接しているうち、自然と肉を食べるのを控えるようになったり、陰性とか陽性とか、季節ごとに体が要求するものを採るようになりました。

人と会う時も自分の食事法は変えず、外食する際は自然食レストランなどを探して、軽いマイブームのようなノリでつき合わせたりしていました。
当初は自分もまわりもそういうことが新鮮に感じられて楽しんでいたのでしょうが、そのうち徐々にですが生活の全てがこの特別な食中心になってきて、人からは気を使われるし、自分自身も人との距離を感じるようになっていきました。
もちろん自分の健康のためですから、人と違ったっていいはずですが、何と言うか自分は正しい食事をしていて、他人は病気じゃないからいいのだろうけど本当は間違った食事なんだという傲慢な考えになっていったのだと思います。

現代の日本は恵まれていて、人それぞれ好きなものを自由に食べることができます。
こんなことは世界全体でもまれなことだし、まして他の生きものにはありえないことです。
それゆえに偏った食事で健康を損ねてはじめて、私のように食を見つめ直すということも起きてくるのでしょう。
食事を変え始めた頃の私は、世界観が変わってさあこれからだという希望に満ちていた反面、まるで自分だけ特権を得たような、極端に言えば他人をちょっと見くだすようなところがあったのも事実です。
いま振り返ればとんでもない思い違いです。

玄米食そのものはとてもいいことだと今でも信じています。
ただあまりそればかりにとらわれてはいけない。
健康が第一です。でも自分ひとりが健康ならいいってわけでもありません。
玄米食を絶対視すると、とくに中途半端な理解で突き進むとおかしなことになってしまいます。

いま現在、私は玄米食をしていません。
ある意味挫折したからですが、かと言って何でもありではない。
それに玄米食をきっかけに食を見つめ直すようになって、自分の健康はもちろん、日本人全体の食のあり方まで考えるようになりました。
そしてやはり下田で覚えた農作業が食にたいする信念を固めてくれたような気がします。

その土地で旬に採れたものをうまく工夫して食べる。

ただそれだけのことなんですが、畑を耕し、種を蒔いて水をやり、草を引いたり支えを当てたり、ちょっとだけ手助けをして、虫や動物に持っていかれた分を差し引いて、ようやく人の口に入る。
これだけの手間とかかる時間、そして季節のめぐり。

http://wara.jp/hyakushoyashikiwara/index-3.html

自分の考え方はそれほどずれてないんだと、やっぱり“ばっかり食”でいいんだと、嬉しくなりました。

肩肘張らずに自然体でやっていこう。

2011年8月5日金曜日

自然農の畑からのおすそわけ

これまで畑の話に関しては過去の回想ばかりでしたが、初めてリアルタイムの話題です。

6月の終り頃から体調不良をおして、ふたたびあの憧れの島に足繁く通うようになりました。
今回はやや本気で移住の可能性を探るため、島での起業を目指す人になりすましてセミナーなどに潜入していたところ、私がほんらい理想とする島で農業を志す方と知り合いになることができました。
それも現在私が住むこの市内から移住されて間もないというではないですか。

移住を決断されてわずか半年ほどで島内に畑付きの古民家を探し当て、仕事も見つけて家族で移り住み、早々に野菜作りを始め(なんと初めての試みとか)、そして知り合ったばかりのこの私に貴重な初収穫のおすそわけをくださいました。


一番上はツルムラサキ。小ナスのかわいいことよ。


 好物のズッキーニもほどよいサイズで、本日さっそくトマトとともに定番のラタトゥーイユで歯ごたえを堪能しました。
小ナスは一夜漬け、ツルムラサキもゴマ和えでおいしくいただきました。


ご一家はこの道のプロを目指していて、それで起業セミナーにも参加しているのです。
それもいきなり自然農での挑戦です。
短期間で猛勉強され、即実践というわけです。
移住から農業から、何ゆえそれほどまでに…という現在の中国のような驀進ぶりです。
(ご本人がこれを読んでおられたら気を悪くされるかもしれません。私こういう語り口なのです)

でもこのフットワークの軽さこそ、信じた道を突き進む時のしなやかさであり、いつまでも現状に甘んじてグズグズしている私が見習うべき行動力だと思います。



一歩を踏み出すこと
変化を楽しむこと
そして生きている間に何をしたいのかを考えること

先日、島の先輩起業家が私たちにくれた貴重なメッセージです。
(…ホントもらってばかりの私)

2011年8月3日水曜日

夏草の誘い

70年代ロックがやっぱりいい。

ジョニ・ミッチェルの“夏草の誘い”(1975年作、原題“The Hissing of Summer Lawns ”~直訳すると「夏の芝生がしゅうしゅういう音」。聞いたことないな、そんな音…)久々に聴いていて、あの夏の日のしんどい草取りのことを思い出してしまった。

最初期の下田の(下田、下田というが、実際は南伊豆市だった、借りていた畑は)畑では、もう何がなんだか訳もわからず、うわ、草生えてる、抜かなきゃ、状態だったので問題外として、山口の畑のときは周囲が住宅地だったこともあり、畝間よりもまず畑のまわりの草刈りに気を使っていた。

その日は覚悟を決めて、朝がた日の高くなる前または夕方に大汗かいて、一度では終わらずに四周を何日かかけて、ああ、思い出すだけで詮無い…。

せんない)~これこちらの方言だと思っていたが、変換候補にあったので辞書で調べると、
それをすることによって報いられる事が何もない様子だ。(用例「今さら悔んでも―(=むだな)事だ」)
とある。

うん、近いけど、こちらでは「…だからやりきれない」という感じのブルージーなニュアンスが加わる。

そう、けして報われないんだが、この草刈りというのは、ひとつの達成感が感じられる作業でもあり、じつは大嫌いというわけでもなかった。
毎年ちょうど体調が回復してくる夏の終わりごろのひと汗はなかなか爽快だった。
帰り道、カナカナの鳴き声など聞きながら…。


この草取りをいっさいせずに野菜を作ろうとしている人と最近知り合いになった。
耕すこともしないらしい。
種を蒔いて、収穫するまで何もしないのか…。
そんなウマイ話があるのだろうか。

農業にこれが絶対というセオリーなどない。
山の柿の木には何もせずとも毎年ちゃんと柿がなる。

自然の地力だけで極力人間が関与せずに恵みに与る方法とは…。