2010年11月11日木曜日

身土不二

身土不二(しんどふじ)ということばがあります。

身(からだ)と土(土地)とは不二(二つにあらず、一体のもの)、すなわち人はその生活する土地の気候風土と不可分であると言う意味。

食養生の観点からは、暮らしている場所から三里(約12キロ)四方(=歩いて行ける距離)で手に入る旬のものを食べていれば健康でいられるということです。
近頃よく聞く“地産地消”に近いかもしれません。

さて話がすこし大きくなりますが、最近日本が国際貿易をめぐる新たな多国間協定への参加を進めようとしています。
これにはとなりの韓国の積極的な動きがかなり影響していて、似たような貿易戦略上後れをとってはいけないということのようです。
でも貿易の自由化で一番にダメージを受けてしまうのが農業なのは日本も韓国も同じです。
聞けば韓国でもほぼ日本と同様な状況で、国内の農業人口は激減し、畜産飼料の輸入依存をはじめとしてコメすら完全自給できていないとのこと。
いっぽう今の韓国はすごい勢いで製造業の輸出攻勢をかけ、アフリカ等海外の資源開発、農地すら海外で確保しようと躍起になっています。

その韓国でじつは80年代終わりの自由化交渉のとき、“身土不二”(シントブリ)の一斉キャンペーンがあったのです。
すなわち身土不二の理念を掲げ、国の食料は国内でまかなっていくべきだとして、農協主導で国内農業保護のために自由化反対に動き、いかにも韓国らしいというか国中がこれで一気に盛り上がったとのことです。
これをたとえば日本で生協が主体となった“地産地消”運動がこれほど盛り上がるかどうか考えても、ある意味うらやましい韓国のパワーを感じます。

…なのに、です。
その韓国のパワーがいまは上述のように、まるで国内の農業を捨て去ったかのような方向にばく進しています。
海外での農地確保ということになれば、もう身土不二とは180度の方向転換になってしまいます。

思うに身土不二とはそもそも国の政策のスローガンとしては相応しくない、ローカル発想の草の根的な思想なのです。
だからむしろ逆の方向から、国内の地域ごとに各地域の特性に適った農業と食生活を確立していき、その総和として一国の姿勢があるのが本筋です。
日々の暮らしの実感からは地産地消も理解されやすいのですが(地元産野菜の百円市など)、中央官庁主体の発想では国の農業もなかなか変わっていけません。

たとえ自由化に伴って海外の安い農産物がどっと押し寄せても、「わたしたちは近場で採れた新鮮で安心なものしか食べないので…(ほんとうはそれが一番安上がりになる)」という確固とした主体性をまず日本各地の住民が持っていれば、日本の農業が衰退することもないはずです。

ヨーロッパ発のスローフード運動も似た発想で、国もこれに理解を示し、実は手厚く自国の農業を保護しています。
残念ながら日本は流通業(=高コストの原因)から何からシステムががんじがらめで、国民も全国一様の消費形態(テレビCM、どの地方へ行っても同じような全国チェーンの店…)に慣らされてしまって地元の本来のよさを忘れています。

スローフードがファストフードに対するアンチだったように、身土不二もある意味逆境からの発想(失った健康を取り戻すために基本に還る)なので、追い詰められた今こそ国民に訴えるのでは。

ここ数日のニュースから、土にかんする話題をすこし広げてみました。

4 件のコメント:

  1. 日本の流通のシステム自体が出来上がっちゃってるもので、そこで様々な利権が発生している以上なくなることはありえない。システムということでは、出版界にも同じようなことがいえて、こちらは今まさに変化を迎えようとしている。「読む」ことのシステムが変わりつつあるからね。消費者は便利だと判断したら変わる。便利に読めてその上安いときたら、そりゃあもう「本はデジタルでしょ」って。同じように美味しい野菜を「安価に」「手軽に」入手出来たら消費者は変わるでしょう。ってことで、村上龍を応援しよう!

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  2. 今でも美味しい野菜は「安価に」「手軽に」手に入るんだよ、スーパーで。本と食料品とは本来、財の性格が本質的に異なる。食べものは命に直結しているから。ほんとうに美味しい野菜とはなにか。なぜ日本人が日本でとれるコメにこだわるのか。

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  3. カナダのオンタリオ州の場合、冬の野菜って寒すぎてありえないんですが、そういう場合はどうなるのかな?切り干し大根とか?

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  4. もちろん住んでいる土地の旬のものを食べるのが一番いいんでしょうが、切り干しとかの乾物は日本人の冬の知恵ですから、おっしゃる通りだと思います。夏場でもカナダだとあまり近い場所で取れた野菜は手に入らないんでしょうね、残念ながら。

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