自然農をめざす秋生農園さんの大きな方針のひとつが作物のタネを採ること。
自家採種の試みでも触れたように市販の種はほとんどが自分で種採りできないように作られていて、やってみればわかるが年々野菜の質が落ちていく。
つまり種苗メーカーが「毎年タネを買ってね!」というメッセージを発しているわけだ。
われわれの日常感覚は完全に工業化されてしまっていて、なんでもかんでも次々に買い換えていくのが当たり前。
園芸店やホームセンターに行くと季節ごと野菜の種のコーナーが入れ替わっていて、知らず知らずそれがふつうのことと思い込んで種を買ってしまう。
でも待てよ、むかし子どものころ夏に育てた朝顔やひまわり、ちゃんと種がついてたじゃん。
それを次の夏までとっておいて使ったかどうかは定かでないが、学校教育的には「採った種をまけばまた朝顔が芽を出します」のはず。
どうなんだろう、こんな草花まで年々劣化してしまうんだろうか。
親が意識してしつこく毎年タネ採りして育て続け、5~6年後の成果を子どもに見せ、中学に上がる頃に「世の中じつはこうなんだよ」と教えてやるのもいいかもしれない。
秋生農園さんの行動も、工業化された農を回復するためのささやかな反発なのかもしれない。
反発しようにもメーカー品の種から始めたのでは無駄な抵抗に終わるため、彼らはメーカーで開発した(…ってホント工業製品だよ)F1種ではなく、今では貴重ないわゆる在来種を入手している。
ネットで調べればけっこう各地で保存活動が盛んで、各地域の伝統野菜の種が手に入るのだ。
インゲン豆を守る人々の北海道産在来種の豆も手に入る。
http://www5c.biglobe.ne.jp/kiyomi65/beniya/index.htm
内村鑑三『後世への最大遺物』という本を図書館で借りてきた。
どうやら内容はイメージとはやや異なるようだがタイトルに惹かれた。
タネこそ、後世への最大遺物だろう。
そして“後世への最悪遺物”がアレですね。
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2011年10月26日水曜日
2011年10月20日木曜日
発酵食(はっこうしょく)に興味
かつてパン焼きなどをしていた当時、同時にぬか漬け作りにも励んでいた。
あの頃は食べごとに新鮮な発見があっていろいろやってたな。
ぬか床はその後も何度か母親が作っていたが、味がよくならないとか何とかあまり長続きしなかった。
腸内環境を整えるので乳酸菌、=ヨーグルトと刷り込まれているが、日本人には納豆や漬物から乳酸菌をとる方があっているようだ。
最近パンの情報を集める中で、小麦のグルテンが腸に悪影響を与えることがあると聞いて「やっぱり」と思い当たるフシがあり、パン好きなだけに困惑している。
ふたたびパン焼きでもしてみようかと思い始めていたが、自分の体のためには漬け物作りのほうがいいかもしれない。
手間もそれほどかからないし。
本を見ると麹(こうじ)を使っていろいろできそうだ。
甘酒床やら塩麹床など、おもしろそう。
たまたま図書館で借りてきた本だが、著者はこの発酵食でアトピー体質を克服して発酵食堂というのを目黒で開いているらしい。
発酵食堂!
発酵食品はチーズや琵琶湖のなれずしなど、皆特有の強烈なニオイがあって好き嫌いもあるが、微生物の働きで味わいを醸し出し、人体にも好作用の健康食だ。
自分で作って積極的に食べる人体実験をやってみようかと。
酒も発酵だな、そういえば。
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あの頃は食べごとに新鮮な発見があっていろいろやってたな。
ぬか床はその後も何度か母親が作っていたが、味がよくならないとか何とかあまり長続きしなかった。
腸内環境を整えるので乳酸菌、=ヨーグルトと刷り込まれているが、日本人には納豆や漬物から乳酸菌をとる方があっているようだ。
最近パンの情報を集める中で、小麦のグルテンが腸に悪影響を与えることがあると聞いて「やっぱり」と思い当たるフシがあり、パン好きなだけに困惑している。
ふたたびパン焼きでもしてみようかと思い始めていたが、自分の体のためには漬け物作りのほうがいいかもしれない。
手間もそれほどかからないし。
本を見ると麹(こうじ)を使っていろいろできそうだ。
甘酒床やら塩麹床など、おもしろそう。
たまたま図書館で借りてきた本だが、著者はこの発酵食でアトピー体質を克服して発酵食堂というのを目黒で開いているらしい。
発酵食堂!
発酵食品はチーズや琵琶湖のなれずしなど、皆特有の強烈なニオイがあって好き嫌いもあるが、微生物の働きで味わいを醸し出し、人体にも好作用の健康食だ。
自分で作って積極的に食べる人体実験をやってみようかと。
酒も発酵だな、そういえば。
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2011年10月6日木曜日
鼓童、ゆかりの島でのコンサート
なんとあの鼓童がこのたび周防大島でコンサートやるというので久々に見に出かけた。
1981年の鼓童の結成に大島出身の民俗学者宮本常一氏が関わっていたとのことで、その没後30年追悼公演、鼓童にしては格安の料金で見ることができた。
以前東京で見た時は渋谷の街中、ハイソなホールで料金も1万円ほど、一種のブランド感覚があったのだが、今回はある意味彼らの地元佐渡に似た島の素朴な雰囲気の中での公演であった。
見に来る客も島のじいちゃん、ばあちゃんらが公民館での寄り合いムードで(言い過ぎか)三々五々集まり、会場内でも知り合い同士が声掛け合って。
司会のぎこちないMCと演奏前の関係者あいさつなど、いかにもの進行状況の後、始まったパフォーマンスはそうそう、あの鼓童そのもの、場所は違えど変わらぬクオリティに再度圧倒された。
太鼓と聞いて祭りのお囃子を想像して来たかも知れぬじじばばが度肝を抜かれたのがはっきりと伝わった。
しかしさすがに伝統音楽、素朴な島民にはむしろ都会のオーディエンス以上に血に訴えるものがあるのか、ナチュラルなバイブレーション(日本語で表現しろよ)で反応している。
しばらくクラシックのコンサートばかりだったので、聴衆の反応がこれほどまで違うものかとハッキリわかった。
まさに体を張っての演奏に体で応える聴衆。
いなかならではのなかなかいい体験をした夜だった。
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1981年の鼓童の結成に大島出身の民俗学者宮本常一氏が関わっていたとのことで、その没後30年追悼公演、鼓童にしては格安の料金で見ることができた。
以前東京で見た時は渋谷の街中、ハイソなホールで料金も1万円ほど、一種のブランド感覚があったのだが、今回はある意味彼らの地元佐渡に似た島の素朴な雰囲気の中での公演であった。
見に来る客も島のじいちゃん、ばあちゃんらが公民館での寄り合いムードで(言い過ぎか)三々五々集まり、会場内でも知り合い同士が声掛け合って。
司会のぎこちないMCと演奏前の関係者あいさつなど、いかにもの進行状況の後、始まったパフォーマンスはそうそう、あの鼓童そのもの、場所は違えど変わらぬクオリティに再度圧倒された。
太鼓と聞いて祭りのお囃子を想像して来たかも知れぬじじばばが度肝を抜かれたのがはっきりと伝わった。
しかしさすがに伝統音楽、素朴な島民にはむしろ都会のオーディエンス以上に血に訴えるものがあるのか、ナチュラルなバイブレーション(日本語で表現しろよ)で反応している。
しばらくクラシックのコンサートばかりだったので、聴衆の反応がこれほどまで違うものかとハッキリわかった。
まさに体を張っての演奏に体で応える聴衆。
いなかならではのなかなかいい体験をした夜だった。
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2011年9月29日木曜日
自然農一家のその後
大島の起業セミナーで知り合った自然農一家、マイペースで野菜作りを続けるようすを日々ブログで発信しています。
なにしろ雑草を極力とらず、水も天の恵みに任せるというのですから、この暑い夏を乗り切れるのか心配していましたが、ブログを見ている限りではわりとのんびりとやってるようでした。
彼らがいま一番懸念しているのがイノシシの被害。
大島には元来野生のイノシシはいなかったのが、数年前から海を渡ってやってきて少しづつ数を増やしているようです。
なんと四国で野犬などに追われたあげく海に飛び込み、そのまま一直線に大島まで泳いできたそうで、まさに猪突猛進。
一匹だけでは繁殖できないだろうから、そういうケースが何度もあってうまい具合にオスもメスもやってきたということなのだろうか。
これは生態系の異常としてじつは深刻な問題かもしれない。
つまり大島の山には彼らのニッチがないので、里で畑を荒らすよりほかに生き延びる術がないのでは。
農家は作物が彼らに食われるのを座視するわけにもいかないので、人とイノシシとの壮絶な生存競争なのだ。
一家はわな猟の資格を取ったり、各種イノシシ除けを設けたりとあれこれ奮闘中。
この夏やってきた金太郎君も、このたび立派な犬小屋を作ってもらって有望な番犬だ。
私としてもなんとか力になりたいところだが、初っ端から大島特有の厄介な問題を抱えてしまった一家。
自然農を続けつつ、野生動物とどう折り合いをつけていくのか、むしろこちらが勉強させていただく感じだ。
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なにしろ雑草を極力とらず、水も天の恵みに任せるというのですから、この暑い夏を乗り切れるのか心配していましたが、ブログを見ている限りではわりとのんびりとやってるようでした。
彼らがいま一番懸念しているのがイノシシの被害。
大島には元来野生のイノシシはいなかったのが、数年前から海を渡ってやってきて少しづつ数を増やしているようです。
なんと四国で野犬などに追われたあげく海に飛び込み、そのまま一直線に大島まで泳いできたそうで、まさに猪突猛進。
一匹だけでは繁殖できないだろうから、そういうケースが何度もあってうまい具合にオスもメスもやってきたということなのだろうか。
これは生態系の異常としてじつは深刻な問題かもしれない。
つまり大島の山には彼らのニッチがないので、里で畑を荒らすよりほかに生き延びる術がないのでは。
農家は作物が彼らに食われるのを座視するわけにもいかないので、人とイノシシとの壮絶な生存競争なのだ。
一家はわな猟の資格を取ったり、各種イノシシ除けを設けたりとあれこれ奮闘中。
この夏やってきた金太郎君も、このたび立派な犬小屋を作ってもらって有望な番犬だ。
![]() |
エライ役目をしょわされて気が重いよ、おれ。 |
私としてもなんとか力になりたいところだが、初っ端から大島特有の厄介な問題を抱えてしまった一家。
自然農を続けつつ、野生動物とどう折り合いをつけていくのか、むしろこちらが勉強させていただく感じだ。
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2011年9月14日水曜日
やっぱりパンが好き②
日本マクドナルド初代社長、藤田 田(でん)氏の生前の言。
「幼い頃に馴染んだ味がその人の一生の味覚を左右する(だからマックのハンバーガーを刷り込もう、ひひひ)」
かくして私たち世代もみごとに学校給食によってパン食を刷り込まれてしまった。
この背景にあるのが、アメリカの余剰小麦輸出戦略、キッチンカーによる洋食普及運動、かの有名な「米を食べるとバカになる」etc,etc…。
その上、内外価格差もあいまって小麦の国内自給を放棄してしまったので、パン食を通じて日本人は食料の海外依存体質になり下がってしまった。
(もちろん小麦だけではない、大豆も日本人の大切な食料だったはずが、いまや国産大豆は貴重品だ。)
ようするにパンを食べるということは(今さらこんなこと言ってももうほとんど意味ないんだが)不自然なことだというのは一応自覚しておいたほうがいい。
日本の気候風土にそぐわない食うんぬんより何より私がキモチ悪いのは、一般国民が知らぬ間に明らかな意図をもって食の塗り替え、刷り込みが行われ、その食が、日本人の命の糧が他国に握られている現実だ。
われわれ日本人はもはや老若男女、日々パンなしでは生きていけない(とくにお年寄りは結構パンが好きだ)。
もうパンが好きで好きで、ブログで日々語らずにいられない中毒患者もたくさんいる。
このパン好きな日本人がモチモチ食感を好み、日本独特のもちもちパンが売れ(外国人は違和感を持つらしい)、ひいては米粉パンが登場、これもけっこうな評判で“ゴパン”なるご飯でパンが焼けるパン焼き器が売れに売れた、という非常に面白い展開に私は今ひそかに期待している。
「幼い頃に馴染んだ味がその人の一生の味覚を左右する(だからマックのハンバーガーを刷り込もう、ひひひ)」
かくして私たち世代もみごとに学校給食によってパン食を刷り込まれてしまった。
この背景にあるのが、アメリカの余剰小麦輸出戦略、キッチンカーによる洋食普及運動、かの有名な「米を食べるとバカになる」etc,etc…。
その上、内外価格差もあいまって小麦の国内自給を放棄してしまったので、パン食を通じて日本人は食料の海外依存体質になり下がってしまった。
(もちろん小麦だけではない、大豆も日本人の大切な食料だったはずが、いまや国産大豆は貴重品だ。)
ようするにパンを食べるということは(今さらこんなこと言ってももうほとんど意味ないんだが)不自然なことだというのは一応自覚しておいたほうがいい。
日本の気候風土にそぐわない食うんぬんより何より私がキモチ悪いのは、一般国民が知らぬ間に明らかな意図をもって食の塗り替え、刷り込みが行われ、その食が、日本人の命の糧が他国に握られている現実だ。
われわれ日本人はもはや老若男女、日々パンなしでは生きていけない(とくにお年寄りは結構パンが好きだ)。
もうパンが好きで好きで、ブログで日々語らずにいられない中毒患者もたくさんいる。
このパン好きな日本人がモチモチ食感を好み、日本独特のもちもちパンが売れ(外国人は違和感を持つらしい)、ひいては米粉パンが登場、これもけっこうな評判で“ゴパン”なるご飯でパンが焼けるパン焼き器が売れに売れた、という非常に面白い展開に私は今ひそかに期待している。
2011年9月4日日曜日
やっぱりパンが好き
日本人の主食は米。
もっとお米を食べて国内の農業を守っていかなければいけない。
頭でわかっていても、われわれの世代は強烈に小麦食を刷り込まれてしまっている。
学校給食はほとんどパンの記憶しかないし(コッペパンにマーガリン)、朝もなんとなくトーストで済ませていた。
給食のパンははっきり言ってちっともうまくなかったが、朝はパンの習慣だけは抜けず。
時間に余裕があるなら朝もご飯を食べればいいのだが、うーん…。
じつはやっぱりパンが好き、なのである。
とくに私の場合、ある時期から食事制限で無添加、卵なし、乳製品なしの、今どき手に入りにくいパンしか食べれなくなったので、かえってパンへの執着が激しくなってしまった。
自然食品店などで売っているそうしたパンはたいがいパサパサであまりうまくない。
泣きそうな思いでもうちょっとマシなのはないかと探し回っていると、そのうちまあまあ許せるパンもあったりする。
と同時に、“健康的なパン”を食べているうちにそれに慣れてきたし、そのシンプルな味わいがわかってきた。
いわゆるフランスパンは卵も牛乳も使ってないが、いいパン屋で焼いたものはたしかに美味い。
むしろフランスパンでその店の程度がわかると言われるくらいだ。
ほんとうに美味いパンは、その素材の良さ、小麦本来の味が活きている。
今ではそこらで売ってるフニャッとした何が入ってるやらわからんパンなどおよそ買う気がしない。
だが悲しいかな、家の近辺にそうした“ほんもの”を売るパン屋がほとんどない。
とくにこちらに移ってきた十数年前はひどかった。
かくして食えない故の少々異常なパンへのこだわり、“わたしのパン”探しの旅がはじまった。
もっとお米を食べて国内の農業を守っていかなければいけない。
頭でわかっていても、われわれの世代は強烈に小麦食を刷り込まれてしまっている。
学校給食はほとんどパンの記憶しかないし(コッペパンにマーガリン)、朝もなんとなくトーストで済ませていた。
給食のパンははっきり言ってちっともうまくなかったが、朝はパンの習慣だけは抜けず。
時間に余裕があるなら朝もご飯を食べればいいのだが、うーん…。
じつはやっぱりパンが好き、なのである。
とくに私の場合、ある時期から食事制限で無添加、卵なし、乳製品なしの、今どき手に入りにくいパンしか食べれなくなったので、かえってパンへの執着が激しくなってしまった。
自然食品店などで売っているそうしたパンはたいがいパサパサであまりうまくない。
泣きそうな思いでもうちょっとマシなのはないかと探し回っていると、そのうちまあまあ許せるパンもあったりする。
と同時に、“健康的なパン”を食べているうちにそれに慣れてきたし、そのシンプルな味わいがわかってきた。
いわゆるフランスパンは卵も牛乳も使ってないが、いいパン屋で焼いたものはたしかに美味い。
むしろフランスパンでその店の程度がわかると言われるくらいだ。
ほんとうに美味いパンは、その素材の良さ、小麦本来の味が活きている。
今ではそこらで売ってるフニャッとした何が入ってるやらわからんパンなどおよそ買う気がしない。
だが悲しいかな、家の近辺にそうした“ほんもの”を売るパン屋がほとんどない。
とくにこちらに移ってきた十数年前はひどかった。
かくして食えない故の少々異常なパンへのこだわり、“わたしのパン”探しの旅がはじまった。
2011年9月2日金曜日
畑の先生
一昨年、約4年ぶりに畑に入ったとき、地元のおばあちゃんが懇切丁寧に指導してくれました。
畑というのは、場所が違えば土も違うし、土地の気候、周囲の環境等々によって野菜の作り方が変わってくるので、当初からなるべく素直にその土地のやり方に順応しようと考えていました。
土地の野菜作りに一番詳しいのは、やはり地元でずっと畑をやっているお年寄りの方たちです。
いろんな人がいるでしょうが、幸い私が出会った人たちは皆けっして押しつけがましいところがなく、むしろこちらのやり方を尊重してくれました。
こんどの先生も、たぶんもうかなり教え慣れて(?)いるせいか、すぐにこちらの経験度を理解して、あまり余計な口出しもせず、それでいて要点はしっかり押さえているという理想的な指導者でした。
ウネ上げ、種まきの溝ほりなど、私がこれまで我流でやってきたことも、おばあちゃんはひょいひょいと軽い身のこなしで見せてくれます。
おばあちゃんはけっして「こうするんだ」などと言いませんが、私はそばで黙って見ながら心の中で「おおー、なるほど」と何度も感心していました。
彼女のいい所はこちらのやることにもちゃんと興味を示してくれることで、私が植えたズッキーニのことなども知りたがりました。
思えば彼女に限らず、畑をやっているおばあちゃんたちって皆わりと好奇心旺盛で、たいがいこちらの話をこころよく聞いてくれます。
私はどちらかと言えばあまり人づきあいが上手ではないのですが、畑で出会ういなかのおばあちゃんたちとは打ち解けることができます。
下田の最初の畑の師匠が一度、「taoさん、畑にいるときはとてもスッキリした顔してる」と言いました。
畑の空気がなにか特別な作用をするのかもしれません。
畑というのは、場所が違えば土も違うし、土地の気候、周囲の環境等々によって野菜の作り方が変わってくるので、当初からなるべく素直にその土地のやり方に順応しようと考えていました。
土地の野菜作りに一番詳しいのは、やはり地元でずっと畑をやっているお年寄りの方たちです。
いろんな人がいるでしょうが、幸い私が出会った人たちは皆けっして押しつけがましいところがなく、むしろこちらのやり方を尊重してくれました。
こんどの先生も、たぶんもうかなり教え慣れて(?)いるせいか、すぐにこちらの経験度を理解して、あまり余計な口出しもせず、それでいて要点はしっかり押さえているという理想的な指導者でした。
ウネ上げ、種まきの溝ほりなど、私がこれまで我流でやってきたことも、おばあちゃんはひょいひょいと軽い身のこなしで見せてくれます。
おばあちゃんはけっして「こうするんだ」などと言いませんが、私はそばで黙って見ながら心の中で「おおー、なるほど」と何度も感心していました。
彼女のいい所はこちらのやることにもちゃんと興味を示してくれることで、私が植えたズッキーニのことなども知りたがりました。
思えば彼女に限らず、畑をやっているおばあちゃんたちって皆わりと好奇心旺盛で、たいがいこちらの話をこころよく聞いてくれます。
私はどちらかと言えばあまり人づきあいが上手ではないのですが、畑で出会ういなかのおばあちゃんたちとは打ち解けることができます。
下田の最初の畑の師匠が一度、「taoさん、畑にいるときはとてもスッキリした顔してる」と言いました。
畑の空気がなにか特別な作用をするのかもしれません。
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