2010年11月14日日曜日

山口での初収穫は

山口で畑を始めたのは11月だったので、さてこれから蒔いて芽が出るものがあるのかしらと調べると、どうやら豆類らしく、とりあえずえんどう豆(絹さやとグリンピース)を蒔き、あとはイチゴの苗を植えました。

植物にはそれぞれ発芽に適した温度があるらしく、しばらくするとちゃんとマメが芽を出しました。
土に埋めたタネはすぐには芽を出さず、しばらく新たな環境を探っている感じです。
蒔いたタネが芽を出してくれると、なんだか野菜からOKサインが出たようでいつも嬉しいものです。

年末ごろになるとかなり冷えて、ひょろっと伸びたマメもいったん成長が止まったようでしたが、春になると再び伸び始めたので近くで細めの竹を取ってきて支えをしました。
4月下旬あたりから花が咲いて実がつき始め、ゴールデンウィークころには食べごろの実をちぎって初収穫となりました。
それからは次々と、連日通って数日で収穫し終わりました。

イチゴも同じころにちゃんと実がなったので嬉しかったのですが、熟れてくると何かの虫が穴を開けていて(あとでナメクジだとわかった)、人間はその食べ残しを分けてもらう感じになりました。
そのころ体調が良くなかったのですが、春の日差しの中のイチゴ摘みは楽しいものでした。

今回の経験でマメは冬越しをして春にとれ、イチゴの旬もじつは初夏だということがわかりました。

2010年11月12日金曜日

100円市

いま田舎は農家直売のいわゆる100円市が熱い。

実際は100円以上の商品もあるが、中には100円以下で、「え、なんで?これで利益出るの?」と思わず言いたくなるものまである。
そこで売り子=生産者のおばちゃんに聞いてみると、「ええの、ええの、市場には出せんもんじゃから」という答えが返ってくる。
かと言ってそれほど見栄えの悪いわけでもなく、鮮度が落ちるということもないだろう。
その基準がいまだ判然としないが、まあ要するに「余ったから一応100円ということでお分けします」くらいの感覚なのではないか。

家族がこちらに移って以来、とくに母がこの直売所のファンである。
何人かとは顔見知りらしく、「この前のかぼちゃはイマイチだった」とか、「〇〇のごぼうが入ったらとっておいてほしい」などというリクエストにも気軽に答えてくれるらしい。
この農家の人とのコミュニケーションがいい。
野菜やお米の出来など教えてもらい、こちらはズッキーニ(まだ未開の野菜らしい)の調理法を教えたりする。

熱いファンがいる一方で、まだまだこれを知らない人も多いらしい。
知っていても利用しないのか、まあスーパーほど品揃え豊富というわけではないからね。
知る人ぞ知るというほどでもないが、それほど大繁盛もしないままのほうが自然かもと思ったりもする。

2010年11月11日木曜日

身土不二

身土不二(しんどふじ)ということばがあります。

身(からだ)と土(土地)とは不二(二つにあらず、一体のもの)、すなわち人はその生活する土地の気候風土と不可分であると言う意味。

食養生の観点からは、暮らしている場所から三里(約12キロ)四方(=歩いて行ける距離)で手に入る旬のものを食べていれば健康でいられるということです。
近頃よく聞く“地産地消”に近いかもしれません。

さて話がすこし大きくなりますが、最近日本が国際貿易をめぐる新たな多国間協定への参加を進めようとしています。
これにはとなりの韓国の積極的な動きがかなり影響していて、似たような貿易戦略上後れをとってはいけないということのようです。
でも貿易の自由化で一番にダメージを受けてしまうのが農業なのは日本も韓国も同じです。
聞けば韓国でもほぼ日本と同様な状況で、国内の農業人口は激減し、畜産飼料の輸入依存をはじめとしてコメすら完全自給できていないとのこと。
いっぽう今の韓国はすごい勢いで製造業の輸出攻勢をかけ、アフリカ等海外の資源開発、農地すら海外で確保しようと躍起になっています。

その韓国でじつは80年代終わりの自由化交渉のとき、“身土不二”(シントブリ)の一斉キャンペーンがあったのです。
すなわち身土不二の理念を掲げ、国の食料は国内でまかなっていくべきだとして、農協主導で国内農業保護のために自由化反対に動き、いかにも韓国らしいというか国中がこれで一気に盛り上がったとのことです。
これをたとえば日本で生協が主体となった“地産地消”運動がこれほど盛り上がるかどうか考えても、ある意味うらやましい韓国のパワーを感じます。

…なのに、です。
その韓国のパワーがいまは上述のように、まるで国内の農業を捨て去ったかのような方向にばく進しています。
海外での農地確保ということになれば、もう身土不二とは180度の方向転換になってしまいます。

思うに身土不二とはそもそも国の政策のスローガンとしては相応しくない、ローカル発想の草の根的な思想なのです。
だからむしろ逆の方向から、国内の地域ごとに各地域の特性に適った農業と食生活を確立していき、その総和として一国の姿勢があるのが本筋です。
日々の暮らしの実感からは地産地消も理解されやすいのですが(地元産野菜の百円市など)、中央官庁主体の発想では国の農業もなかなか変わっていけません。

たとえ自由化に伴って海外の安い農産物がどっと押し寄せても、「わたしたちは近場で採れた新鮮で安心なものしか食べないので…(ほんとうはそれが一番安上がりになる)」という確固とした主体性をまず日本各地の住民が持っていれば、日本の農業が衰退することもないはずです。

ヨーロッパ発のスローフード運動も似た発想で、国もこれに理解を示し、実は手厚く自国の農業を保護しています。
残念ながら日本は流通業(=高コストの原因)から何からシステムががんじがらめで、国民も全国一様の消費形態(テレビCM、どの地方へ行っても同じような全国チェーンの店…)に慣らされてしまって地元の本来のよさを忘れています。

スローフードがファストフードに対するアンチだったように、身土不二もある意味逆境からの発想(失った健康を取り戻すために基本に還る)なので、追い詰められた今こそ国民に訴えるのでは。

ここ数日のニュースから、土にかんする話題をすこし広げてみました。

2010年11月9日火曜日

土のある暮らし

生ゴミの堆肥化リサイクルによって畑しごとがより生活に密着したものになりました。
畑で収穫される野菜を食べ、その残りかすをまた畑に返し、といった繰り返しで多少なりとも食の循環を意識できます。
畑に埋めた生ゴミ堆肥(ボカシ肥)は、その後しばらくして掘り返してみても、跡形もなくみごとに土に還っているようです。
これはまさに“土を喰う日々”。

最初は生ゴミを扱うことにやや抵抗がありましたが、当時はわりと厳密な玄米食をしていたため動物性のものも少なく、あまりイヤな臭いもしなかったのです。
人によっては江戸時代のように“下肥”まで有効活用した完全リサイクル生活を試みるようですが、まあ好きずきということで…。(だいたい畑までどうやって運ぶ?)

最近は“エコ”ということで電気を使った生ゴミ処理機などいろいろありますが、都会生活ではそもそも埋める場所がないのでは?

ベランダがプランターだらけになるぞ。

2010年11月8日月曜日

土の話

新しい畑の土は前にやっていた人が丹念に土作りをしていたらしく、まわりの畑と比べても明らかに黒々としたいい土でした。
なにしろもともと宅地ですから、ひどい土だったはずです。
宅地造成の際、ふつう強度を上げるためかもとの山土をわざわざ入れ替えたりするのです。
前の人は有機栽培のための堆肥や、海砂(水はけのため?)を入れたりもしたそうです。
たしか国内の有機農産物の基準でも、過去数年以上の無農薬および有機堆肥による土作りがなされているものとなっていたはずだし、はじめから好条件でのスタートでした。

山口の自然食品店からの情報で、家庭の生ゴミを堆肥化する方法を知り、さっそく実行してみました。
毎日出る生ゴミを専用の密閉式のバケツに移し、ボカシという微生物のタネのような粉末を毎回少しづつ混ぜ合わせて、バケツがいっぱいになったら2週間ほど置いて発酵させます。
生ゴミの悪臭が消え、漬物に似た独特の匂いがするようになります。
これを直接、畑に溝を掘って埋め込みます。
結局我が家の畑の堆肥はこれだけでした。

以来数年のあいだ生ゴミを一切ゴミとして出さなかったことはわりと自慢にしています。

2010年11月6日土曜日

山口に移転

結局下田を1年半ほどで引き払って山口に移ってきましたが、幸運にもほどなく知り合いのつてで再び近くに畑を借りることができました。
田舎は本当におおらかというか、またもやタダで使っていいというのです。
ただこのたびは住宅団地の一角の空き地で、前回とは環境がまったく違いました。
今回も家から車で15分の距離だったのですが、同じ距離でも前回のように山の中を通って辿り着く清々しさはありません。
山の中と住宅地とでは来る虫が違ったりして、作物の出来にずいぶん影響するらしいということもあとから徐々にわかってきました。

そして山口でも畑の師匠ができました。
親戚のおばさんが家の庭で畑をやっていて、たびたび見に行くうちに親しくなりました。
おばさんは自分専用の一室で畑の大根の古漬けやら作っていて、田園生活っぽさにも憧れたのです。
おばさんとは不思議と気があったようです。

でも残念ながらぼくの畑を見てもらうことはありませんでした。

2010年11月4日木曜日

収穫祭

ジャングル状態の中のトマト
下田の畑は残念ながら数ヶ月で中断となってしまい、収穫物をだいぶ残したまま去らねばなりませんでしたが、後々につながるきっかけとなりました。
畑に関するあれやこれやを知るのは、このあと山口に移転してからになります。

はじめての畑では野菜の生長に追われるようにただあたふたと作業した感じでしたが、ひさしぶりに土に触れ、暑い盛りに草取りに汗を流し、いろいろな人たちとの交流がありました。
野菜ができすぎて困ったあげく、いつもの勉強会に持ち込んで皆に味見してもらったとき、「ぼくが畑で作りました」と言うと、「作ったのはあなたじゃなく、神様でしょ」と言われたのが印象に残っています。
たしかに考えてみればぼくが畑で這いずり回っているあいだ、野菜はひとりでにどんどん成長していきました。
支えを立てたり、芽かきをしたりと、いくぶんかの助けはしたようなものの、それも人間の都合というか、収穫上の便利さからのことで、たとえこちらが何もしなくとも野菜自身の生命には何の不都合もない。
ただスイカの失敗例からも、やはり植えてしばらくは周りの草を抜いてやらないと負けてしまうのもたしかで、栽培植物の弱さということも知りました。

プロの農家ではないので、野菜畑で自然と遊んでもらったとおおらかに考えておくことにしましょう。

k氏(右端)「taoもすっかり酒が抜けて元気そうだな」
e氏(中央)「しっかり毒も抜けてます」
tao(左端)“oops”