2011年8月25日木曜日

箱庭療法

前に畑でその人の人となりがわかるということを書いたが、この一種の自己表現をセラピーの手段としたのが箱庭療法というやつである。
本来はテーブル大の枠の中に砂や玩具を使って自由に表現させるもので、かつてその専門の本を買ってみたが、なるほど多種多様な表現があって、中には本当に精神の暗部がまざまざと表れていてグロテスクなものなど、当時心理学に多少色気があったので面白かった。
私もいつか専門の指導者のもとで試してみたいと思うが、これを無意識に日々やっているヒトがいる。

ウチの父である。
実際に家の庭でやっているので、空中から見下ろせば見事に箱庭療法になっているはずである。
何も知らないよその人が見れば、まあきれいなお庭、と褒めるかもしれないが、家族はその異様なまでの神経質な管理を知っている。
それは母に言わせれば、ちゃんと木や植物をわかった手入れではない、ということになる。
たしかにあそこまで、雑草一本なくなるまで土をむき出しにしてはいけない。

何より気持ち悪いのがプランターやら鉢類の並べ方である。
ニュアンスが難しいが、私たちにはとても気持ち悪く見える。
例えて言えば、うなぎの寝床とか、なにかの動物の群れがいっせいに同じ方向を向いている、といった感じ。
父のグロテスクな内面の表れなのか?
とにかくモノを並べるヒトである。
母は玄関に父の帽子が並べてあるのも大きらいである。

妹と私はこれを父の自己セラピーと呼んで、あれで本人は精神のバランスをとっていると解釈している。
そういえば東京にいた頃から、やたらと(あの狭い)家の模様替えをするヒトだった。
今だに自分の部屋の模様替えは月に一度はやっているようだ。

かく言う私自身も、立派に父の血を継いでいるせいで、自分でもイヤになるくらい神経質である。
私と接する人は、その言動で(こういった文章の書き方でも)大体わかるはずである。
ところが父の場合、他人からあまり神経質な人とは思われていない気がする。
むしろ豪快で大らかな性格と誤解されているフシがある。
ここがわが父の複雑な所で、じつは私もあるていど大きくなるまでわからなかった。

人はみな、自分の狭い“律”の中で生きている、生きざるをえないのだと、作家の色川武大氏が書いている。
父を見ていると何となくわかる気がする。

3 件のコメント:

  1. ワタシの中では父という人は「永遠のナゾ」です。知りたくないというのが本音です。知るのが怖いというべきか。

    返信削除
  2. 自分の言葉で語ろうとしない人なので、その行動から解釈するしかないわけです。私にとっても父は不可解な生きものです。

    返信削除
  3. つくづく損な性格な人だ。

    返信削除