2011年8月17日水曜日

食ジプシー

下田での集まりの時、よく玄米食をやめてしまう人たちの話になった。
駆け出しの私は玄米ご飯の身に沁みるおいしさがわかりだしていたので、これをやめてしまうなんてもったいないし、ちょっと考えられませんと言った。
師曰く、玄米食の質素なおかずに物足りなくなって動物性のものに手を出すうち、玄米が重く感じられるようになってやめてしまうとのことだった。

結局私も例外足りえず、その後10年ほど続けた玄米食も、家族の食事との兼ね合いや体質改善への疑問などがあってやめるはめになってしまったのだった。
とはいえ玄米ご飯そのものは変わらず好きだし、季節の汁物と少しの野菜のおかずでゆっくりといただくあの食事スタイルは体も心も満たされていいものだ。

数年前から、日本でもマクロビオティックが少しずつ知られるようになってきた。
おもにダイエット目的のようだが、ちゃんと理解して取り組めば生き方全般を見直すきっかけになるかもしれない。
マクロビはじつは日本発祥なのだが、欧米のベジタリアンたちに受け入れられたらしい。
ベジタリアン(菜食主義者)のスタイル、動機はさまざまで、もちろん体のために始めた場合も多いだろうが、むしろ肉食に対するアンチテーゼの側面が大きいようだ。
そしてやめる理由も、肉の誘惑に負けてしまうことが多いらしい。
つまり非常に観念的に菜食を取り入れていて、そこにヨーロッパ人のコンプレックスを感じてしまう。

では自分はどうだったか。
動機はもちろん健康回復のためだったが、それまで自然に口にしていた肉類をやめる時は、たぶんわりとすんなりと、フィジカルな抵抗感はさほど感じなかった気がする。
じつは魚を食べていたのでマクロビアンでもベジタリアンでもないのだが、肉に関する意識が明らかに変わってきた。
そう、意識。
たとえば肉を食べる人に対するなんとはなしの嫌悪感。(その当時の話です)
ひいては肉食民族といった偏見や、世界にはびこる諸問題をとかく肉食に結びつけて考えてしまう等々。

ひとつの食の実践が、なんらかの思想傾向や主義主張と結びついてしまう。
宗教的な食のタブーに近いものも感じる。

玄米食体験というのは、私にとって健康面よりもむしろ精神面、ものの考え方に大きく影響したのはたしかだ。

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