2011年8月3日水曜日

夏草の誘い

70年代ロックがやっぱりいい。

ジョニ・ミッチェルの“夏草の誘い”(1975年作、原題“The Hissing of Summer Lawns ”~直訳すると「夏の芝生がしゅうしゅういう音」。聞いたことないな、そんな音…)久々に聴いていて、あの夏の日のしんどい草取りのことを思い出してしまった。

最初期の下田の(下田、下田というが、実際は南伊豆市だった、借りていた畑は)畑では、もう何がなんだか訳もわからず、うわ、草生えてる、抜かなきゃ、状態だったので問題外として、山口の畑のときは周囲が住宅地だったこともあり、畝間よりもまず畑のまわりの草刈りに気を使っていた。

その日は覚悟を決めて、朝がた日の高くなる前または夕方に大汗かいて、一度では終わらずに四周を何日かかけて、ああ、思い出すだけで詮無い…。

せんない)~これこちらの方言だと思っていたが、変換候補にあったので辞書で調べると、
それをすることによって報いられる事が何もない様子だ。(用例「今さら悔んでも―(=むだな)事だ」)
とある。

うん、近いけど、こちらでは「…だからやりきれない」という感じのブルージーなニュアンスが加わる。

そう、けして報われないんだが、この草刈りというのは、ひとつの達成感が感じられる作業でもあり、じつは大嫌いというわけでもなかった。
毎年ちょうど体調が回復してくる夏の終わりごろのひと汗はなかなか爽快だった。
帰り道、カナカナの鳴き声など聞きながら…。


この草取りをいっさいせずに野菜を作ろうとしている人と最近知り合いになった。
耕すこともしないらしい。
種を蒔いて、収穫するまで何もしないのか…。
そんなウマイ話があるのだろうか。

農業にこれが絶対というセオリーなどない。
山の柿の木には何もせずとも毎年ちゃんと柿がなる。

自然の地力だけで極力人間が関与せずに恵みに与る方法とは…。

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