2011年8月7日日曜日

なにを食べたらいいのか

畑を始めた15年前、下田でいろんな人たちとめぐりあい、率直に自分の境遇を打ち明けて、いろいろな新しい考え方に出会いました。
玄米食との出会いもそのうちの大きなひとつです。

玄米正食といって、病気を克服するための厳密なやりかたもあるのですが、あまりそれにとらわれずできる範囲からやればいいとのことだったので、楽な気持ちで入っていけたのだと思います。
でも下田で玄米を食べる人たちと接しているうち、自然と肉を食べるのを控えるようになったり、陰性とか陽性とか、季節ごとに体が要求するものを採るようになりました。

人と会う時も自分の食事法は変えず、外食する際は自然食レストランなどを探して、軽いマイブームのようなノリでつき合わせたりしていました。
当初は自分もまわりもそういうことが新鮮に感じられて楽しんでいたのでしょうが、そのうち徐々にですが生活の全てがこの特別な食中心になってきて、人からは気を使われるし、自分自身も人との距離を感じるようになっていきました。
もちろん自分の健康のためですから、人と違ったっていいはずですが、何と言うか自分は正しい食事をしていて、他人は病気じゃないからいいのだろうけど本当は間違った食事なんだという傲慢な考えになっていったのだと思います。

現代の日本は恵まれていて、人それぞれ好きなものを自由に食べることができます。
こんなことは世界全体でもまれなことだし、まして他の生きものにはありえないことです。
それゆえに偏った食事で健康を損ねてはじめて、私のように食を見つめ直すということも起きてくるのでしょう。
食事を変え始めた頃の私は、世界観が変わってさあこれからだという希望に満ちていた反面、まるで自分だけ特権を得たような、極端に言えば他人をちょっと見くだすようなところがあったのも事実です。
いま振り返ればとんでもない思い違いです。

玄米食そのものはとてもいいことだと今でも信じています。
ただあまりそればかりにとらわれてはいけない。
健康が第一です。でも自分ひとりが健康ならいいってわけでもありません。
玄米食を絶対視すると、とくに中途半端な理解で突き進むとおかしなことになってしまいます。

いま現在、私は玄米食をしていません。
ある意味挫折したからですが、かと言って何でもありではない。
それに玄米食をきっかけに食を見つめ直すようになって、自分の健康はもちろん、日本人全体の食のあり方まで考えるようになりました。
そしてやはり下田で覚えた農作業が食にたいする信念を固めてくれたような気がします。

その土地で旬に採れたものをうまく工夫して食べる。

ただそれだけのことなんですが、畑を耕し、種を蒔いて水をやり、草を引いたり支えを当てたり、ちょっとだけ手助けをして、虫や動物に持っていかれた分を差し引いて、ようやく人の口に入る。
これだけの手間とかかる時間、そして季節のめぐり。

http://wara.jp/hyakushoyashikiwara/index-3.html

自分の考え方はそれほどずれてないんだと、やっぱり“ばっかり食”でいいんだと、嬉しくなりました。

肩肘張らずに自然体でやっていこう。

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