2011年8月15日月曜日

夏の暑さに対応できなくなっている日本人?

先日、ひさしぶりに山口市内まで小一時間ほどのドライブ。
道中ほとんどずっと田んぼの青々とした中をじつに爽快に走り抜ける。
もう実り始めた稲穂から微かにおコメの香りが漂ってくる。
こちらに来て間もない頃にこの匂いを体験した都会人の感動は、あまり地元の人にはわかってもらえなかった。
今年は大変な年になってしまったが、こうして今年も稲穂が実る田んぼの景色はほんとうに心和むものであり、これだけは絶対失いたくない。



今年も情け容赦なく猛暑がやってきた。
すでに熱中症で何人もの死者が出ていると聞く。
床屋の主人とも話したのだが、昔はこんなに熱中症なんて聞かなかった。
ご丁寧にテレビのアナウンサーが、やれ寝る前に水を飲め、塩分も採れ、昼間の外出を控えろといろいろ言ってくれる。
けっこうお年寄りが室内で倒れるらしく、節電はいいからちゃんと冷房つけなさいなどとあれこれ言って混乱させている。
はたして日本人ってこんなに頼りない民族だったろうか?

それほどまでに近年の気候変動が激しいのも確かだろう。
でもそれ以上に激しいのが、日本の社会全体のあまりの変わりようである。

まず若い人たちは、おそらく環境の変化に対応する術というものをほとんど持ち合わせていない。
それは単に未熟という話ではなく、日常生活に芯がないからだと思う。
水分補給ひとつとっても、普段どういう水の飲み方をしているのか。
夏には夏の食べ方というものがあることをわかっているのか。
そもそも暑けりゃ人間動きが鈍くなるのは当たり前だが、それでも世の中全体が季節に関係なく過酷な要求を突きつけてくる。

問題なのは長く生きてきたはずの高齢者の意外な脆さである。
ひとつには冷房に対する抵抗感があって、これはあまりにも短期間で夏の室内環境を激変させた日本の社会のありようとも関連する。
とくに都会では密集した建物でかつての風通しのよさは失われ、人工的な環境に馴染まざるをえない状況を作り上げてしまっているが、たぶんいまのお年寄りは、そもそも冷房というものに馴染めない体なんじゃないか。
長く生きた人には相応の生きる知恵というものが誰しもあると思うのだが、それでも対応できないほど日本が激変したのだろう。


フィジカルだのメンタルだの、いちいち考えて行動しているのでは遅い。
日本人が本来持っていたはずの直観、判断力、いのちを守る知恵。

熱中症という現象をめぐっての私の雑感だが、こういう指摘を新聞紙面などであまり目にすることがない。

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