結局、原子力という人間が扱いかねるモノに関しては、日本という極東の小国がいつも身をもって世界に示してきたということになるのではないか。
少なくとも原発に関しては、技術力に対する過信、というか無謀な有り様が、いまだ続く事故処理のドタバタで全世界に発信されている。
すなわち“想定外”という言葉に表れている、原子力制御に対する根本的な懐疑、そしていざそれが暴走した場合の無能と無責任。
東電や原子力安全保安院の訥弁は、彼ら自身根本的には自信がないことの表れではないのか。
放射能はもう撒かれてしまった。
しかたがないのでこれからよーく考えてどうカタをつけるか。
原発周辺の土はしばらく(?)使えないので作物は作れない。
地元の農家はどうなってしまうのか。
しかし空気と水は常に循環しているから、日本中がしばらく(?)は放射能のことが頭から離れない。
ゆっくりと恐怖を味わいながら(他人事ではないが)、そうかこういうモノを使ってきたわけか、と賢明な日本人が熟考し、今後の日本の生き方そのもので世界に問うていくべきではないか。
かつてのチェルノブイリの事故当時、ヨーロッパ中が汚染され、原発見直しの機運が高まったにもかかわらず、その後地球温暖化やら何やらで「やっぱり原発」となってしまっていることを鑑みると、特段日本に期待するわけにもいかない気もする。
ただ、東洋の根本思想は循環、永続性。
そこに日本の存在感がある。
土が汚染されて農の営みが途切れてしまった“痛み”を本能的に感じ取る感受性が日本人にはあると信じたい。
原子力という圧倒的な暴力は、半永久的に放射線を出し続けることで自然と人間との永続的な関係を断ち切る。
それを技術的制御で封じ込めることの限界に対する楽観というか不節操、核廃棄物という最終処理不能物に関しては完全に思考停止か。
フィンランドで大規模最終処分場計画が進行中などと聞くとあらためて救いはないと感じるが、これまでさんざん恩恵を被ってきた代償の一部なりと、なんらかの苦痛を味わうことで少なくとも自分たちが生きている間に引き受ける。
日本が犠牲になる、という言い方はいささか感傷的なヒロイズムに聞こえるが、とにかく世界中が日本の今後を注視している。
原発に関しては、核廃棄物という間違いなく解決不可能(10万年誰が管理するの?)な有害物のことをほとんどの人が口にしないが、未来に対する責任の回避は人間のあり方として根本的に間違っている。
今生きている誰もこの罪からは逃れられない。
2011年3月29日火曜日
2011年3月20日日曜日
『もの食う人びと』再読~禁断の森
しばらく前に読んで忘れていた本を、久々に引っ張り出して読んでみると案外発見があったりする。
辺見庸著『もの食う人びと』1994年刊より、“禁断の森”
~1986年のソ連チェルノブイリ原発事故から約8年後、著者は復旧した原発内に入り、職員用食堂で職員らと食事を共にする。
原発内部で出会う人ごとに「だいじょうぶ」を連発され、逆に不信感を募らせる著者。
いっぽう、事故後の付近一帯は立ち入り禁止となっているにもかかわらず、強制的に立ち退かされた住民がちらほら戻り始めていて(その大部分は高齢者)、大胆に土地のキノコや野菜を食べ、リンゴでリキュールを作り、一見ふつうに暮らしている彼らとまた食事を共にする。
右腕が時々握手も辛いほどしびれると老婆は言った。
「年のせいか放射能のせいか、神様にしかわからないね」
人生観と科学がごっちゃに語られる。
このあたりでは皆そうだ。私にもその傾向がある。
諦めで疑いを乗りきる。
今日の日をそうしてつなぐ。
そのような生き方もある。
ここでしか生きられない人たちが、「その日の命をつなぐために、緩慢な危機を選ぶ」。
二年前にモスクワから学者が来て食品を調べてもらったら、この土地のものはなんでも食えると言った。
だから野菜も果物も魚も食べているが、現在ほとんどの住人の甲状腺が腫れたり熱をもったり、どうもおかしい。
疎開先の者も含めると、事故前千人以上いた村人の百人近くが死んでしまった。
行政当局からはここに住むなと言われているが、ほかに住むところもない。
この世から見捨てられている。
どうすればいいのか。
「三十キロ圏内に住むのは同盟として反対だ」という(ウクライナ・チェルノブイリ同盟~事故の遺族、被曝者団体からなる)議長は、しかし、原発の運転継続には賛成という。
ウクライナは全電力の三〇パーセントを原発に頼っている。
ロシアとの関係悪化で格安な石油輸入がままならない。
エネルギー危機のいま、やむをえない結論だというのだ。
国が、企業が、何をしようが、何を言おうが、土地の住民はそこに住み、そこで採れるものを食べて命をつなぐしかない。
チェルノブイリしかり、水俣しかり、そして今度は福島、宮城、茨城…。
蒔いた種は自分たちで引き受ける。
被害者であって加害者。
覚悟を決めるしかない。
辺見庸著『もの食う人びと』1994年刊より、“禁断の森”
~1986年のソ連チェルノブイリ原発事故から約8年後、著者は復旧した原発内に入り、職員用食堂で職員らと食事を共にする。
原発内部で出会う人ごとに「だいじょうぶ」を連発され、逆に不信感を募らせる著者。
いっぽう、事故後の付近一帯は立ち入り禁止となっているにもかかわらず、強制的に立ち退かされた住民がちらほら戻り始めていて(その大部分は高齢者)、大胆に土地のキノコや野菜を食べ、リンゴでリキュールを作り、一見ふつうに暮らしている彼らとまた食事を共にする。
右腕が時々握手も辛いほどしびれると老婆は言った。
「年のせいか放射能のせいか、神様にしかわからないね」
人生観と科学がごっちゃに語られる。
このあたりでは皆そうだ。私にもその傾向がある。
諦めで疑いを乗りきる。
今日の日をそうしてつなぐ。
そのような生き方もある。
ここでしか生きられない人たちが、「その日の命をつなぐために、緩慢な危機を選ぶ」。
二年前にモスクワから学者が来て食品を調べてもらったら、この土地のものはなんでも食えると言った。
だから野菜も果物も魚も食べているが、現在ほとんどの住人の甲状腺が腫れたり熱をもったり、どうもおかしい。
疎開先の者も含めると、事故前千人以上いた村人の百人近くが死んでしまった。
行政当局からはここに住むなと言われているが、ほかに住むところもない。
この世から見捨てられている。
どうすればいいのか。
「三十キロ圏内に住むのは同盟として反対だ」という(ウクライナ・チェルノブイリ同盟~事故の遺族、被曝者団体からなる)議長は、しかし、原発の運転継続には賛成という。
ウクライナは全電力の三〇パーセントを原発に頼っている。
ロシアとの関係悪化で格安な石油輸入がままならない。
エネルギー危機のいま、やむをえない結論だというのだ。
国が、企業が、何をしようが、何を言おうが、土地の住民はそこに住み、そこで採れるものを食べて命をつなぐしかない。
チェルノブイリしかり、水俣しかり、そして今度は福島、宮城、茨城…。
蒔いた種は自分たちで引き受ける。
被害者であって加害者。
覚悟を決めるしかない。
2011年3月14日月曜日
闇夜の経験
これまでの人生で、ほんとうの闇の中というのを二度ほど経験したことがある。
最初は大学生の頃に軽井沢に遊びに行った時、別荘地の中で。
二度目は何年か前、宮崎の田舎で。
闇の中というのは視覚を完全に奪われ、そのぶん聴覚、嗅覚などが異様に敏感になる。
実感としては、なんとなくむわっとした空気の塊に包まれているような息苦しさがあった。
現代の都会育ちではめったに味わえないなかなかいい体験を、これからまさに東京近辺の皆さんが味わうことになるのでしょうか。
最初は大学生の頃に軽井沢に遊びに行った時、別荘地の中で。
二度目は何年か前、宮崎の田舎で。
闇の中というのは視覚を完全に奪われ、そのぶん聴覚、嗅覚などが異様に敏感になる。
実感としては、なんとなくむわっとした空気の塊に包まれているような息苦しさがあった。
現代の都会育ちではめったに味わえないなかなかいい体験を、これからまさに東京近辺の皆さんが味わうことになるのでしょうか。
2011年3月10日木曜日
蒟蒻(こんにゃく)
たまによその畑で見かけるあれは何だろう。自然の家に来て初めて、あれこそコンニャクだと知りました。
コンニャクは栽培にも加工にも手間がかかります。
日陰の畑で三年近く、毎年コンニャク芋を土に埋めては掘り出し、少しずつ大きくしていきます。
そして適当な大きさに育ったイモを選んで、実際にコンニャク作りを経験しました。
現在、業務用の加工では機械を使って皮むき、精粉(イモを粉末状にすること)しますが、自然の家では当然、昔の手仕事を体験させます。
したがってまずしっかりゴム手袋をはめて(山芋と同じくかぶれる恐れがあるので)、タワシを使ってイモの皮を擦り取ります。
イモはゴツゴツして凹凸があるので皮を完全に取り去るのは無理です。
このため出来上がったコンニャクは皮が混じって黒くなるのだということも知りました。
逆に現在の機械使用では完全に皮が除けてしまうので、わざわざ海藻を混ぜて黒味を出しているらしいです。
(原材料に海藻粉末とある理由がわかった)
次に大きなすり鉢の中で、少しずつ水を加えながら擦ってドロドロの状態にします。
結構しんどい作業です。
これを型に入れて少し置いて固まるのを待ってから、大釜で茹で上げました。
この段階あたりでたしか石灰を加えた気がしますが定かではありません。
業務用では、皮むきの後加水せずに粉末状にしてしまい、この状態で流通させ、成型時に加水して加工するそうです。
何故いまコンニャク作りの話?
例のTPP(環太平洋経済連携協定)参加をめぐって、農産物の輸入関税が何かと話題になっている中で、なぜかコンニャクが1706%という突出した関税率で守られている。
(なぜか10年前の数字が出されているが、実際は現時点で313%)
コメの778%をはじめとした高関税品目のひとつだが、それだけ競争条件が悪いということだろう。
たしかに関税撤廃されればとんでもなく安いコンニャク(…って、いくらなんだ。10円、20円の世界か?)がいくらでも入ってくるのだろうが、それじゃあんたらこんにゃく食べてるの?と言いたくなる。
あんたらとは誰か?
もちろん売れるから作って輸出する、こんにゃくなんか食べない国々。
それからこんにゃくなど忘れかけてる日本の人々。
まずこんにゃくを食べもしないのに売りつけないでほしい。
日本人は自分らで何とかするからほっといてくれ。
それから日本人、ちゃんとこんにゃく食べてるのか?
あれだけの高関税で守られるほどのもの?
こんにゃく作りを経験した身としては、多少のいとおしさは残っている。
それから栽培技術が失われてしまうのも惜しい気がしている。
たかが蒟蒻、されど蒟蒻…。
2011年3月2日水曜日
Table for twoという試み
このまえ、給食費を払わない日本の親の非常識を書きましたが、そもそも日本の学校給食って、戦後の食糧難の時期に欠食児童(死語か?)をなくすために始まったもののようです。
ウチの親の話でも、お昼の時間に弁当がないので外に出て行ってしまう子どもがいたりしたそうです。
日本で学校給食が始まったときは、アメリカの援助を受けた脱脂粉乳やパンなど、もらっておいて失礼かもしれませんが、必ずしも従来の日本人にあった食事内容ではなかったと思われます。
その後少しずつ変化していった経緯は、世代ごとに違う給食体験として皆さんの記憶に刻まれていることでしょう。
そしてすっかり飽食状態となったいまの日本では、給食の本来の意味も失われて、親の感覚としては、一食分作らなくてすむお手軽なサービスといったところではないでしょうか。
その費用を払うかどうかという意識の底には、まあ食事なんかどうにかなるといった、食べること自体の軽視があるように思えてなりません。
そんな日本で今、アフリカなどの開発途上国の欠食児童をなくそうというひとつの試みが始まっています。
これまでもunicefなどの団体によるいくつかの救済事業が行われてきたと思いますが、今回のユニークなところは、日本で1回の食事を摂るごとに20円(=アフリカの子どもの一食分の給食費に相当)が寄付されるというシステムです。
http://www.tablefor2.org/
国内および海外の協賛店ではメニューや商品にロゴが付いていて、ちょうどフェアトレード商品と似た感じで気軽に参加できます。
また各家庭でも、ひと月8000円(=20人分のひと月の給食費)食費を減らすことで寄付にまわすことができます。
これは同時にそれだけ食べる量を減らすことでこちらの過食も改善できるといった一石二鳥のアイデアのようです。
日本で食事をする時に、テーブルの向こうにアフリカの子どもたちの食べる姿を想像するというサイトの絵はなかなかいいと思います。
それと日本の給食と違って、ちゃんと現地の食習慣に沿ったメニューを考えて提供しているようです。
材料も現地調達を心がけ、地元の自立を視野に入れているみたいですね。
これまでの援助って、ただお金をぽんと出して終わりで、ちゃんと目的のために使われないことが多かったと聞きます。
現地でのきめ細かなフォローが望まれるところです。
いろんな意味で援助を通してわれわれが反省を促されるシステムなのかもしれません。
ウチの親の話でも、お昼の時間に弁当がないので外に出て行ってしまう子どもがいたりしたそうです。
日本で学校給食が始まったときは、アメリカの援助を受けた脱脂粉乳やパンなど、もらっておいて失礼かもしれませんが、必ずしも従来の日本人にあった食事内容ではなかったと思われます。
その後少しずつ変化していった経緯は、世代ごとに違う給食体験として皆さんの記憶に刻まれていることでしょう。
そしてすっかり飽食状態となったいまの日本では、給食の本来の意味も失われて、親の感覚としては、一食分作らなくてすむお手軽なサービスといったところではないでしょうか。
その費用を払うかどうかという意識の底には、まあ食事なんかどうにかなるといった、食べること自体の軽視があるように思えてなりません。
そんな日本で今、アフリカなどの開発途上国の欠食児童をなくそうというひとつの試みが始まっています。
これまでもunicefなどの団体によるいくつかの救済事業が行われてきたと思いますが、今回のユニークなところは、日本で1回の食事を摂るごとに20円(=アフリカの子どもの一食分の給食費に相当)が寄付されるというシステムです。
http://www.tablefor2.org/
国内および海外の協賛店ではメニューや商品にロゴが付いていて、ちょうどフェアトレード商品と似た感じで気軽に参加できます。
また各家庭でも、ひと月8000円(=20人分のひと月の給食費)食費を減らすことで寄付にまわすことができます。
これは同時にそれだけ食べる量を減らすことでこちらの過食も改善できるといった一石二鳥のアイデアのようです。
日本で食事をする時に、テーブルの向こうにアフリカの子どもたちの食べる姿を想像するというサイトの絵はなかなかいいと思います。
それと日本の給食と違って、ちゃんと現地の食習慣に沿ったメニューを考えて提供しているようです。
材料も現地調達を心がけ、地元の自立を視野に入れているみたいですね。
これまでの援助って、ただお金をぽんと出して終わりで、ちゃんと目的のために使われないことが多かったと聞きます。
現地でのきめ細かなフォローが望まれるところです。
いろんな意味で援助を通してわれわれが反省を促されるシステムなのかもしれません。
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