しばらく前に読んで忘れていた本を、久々に引っ張り出して読んでみると案外発見があったりする。
辺見庸著『もの食う人びと』1994年刊より、“禁断の森”
~1986年のソ連チェルノブイリ原発事故から約8年後、著者は復旧した原発内に入り、職員用食堂で職員らと食事を共にする。
原発内部で出会う人ごとに「だいじょうぶ」を連発され、逆に不信感を募らせる著者。
いっぽう、事故後の付近一帯は立ち入り禁止となっているにもかかわらず、強制的に立ち退かされた住民がちらほら戻り始めていて(その大部分は高齢者)、大胆に土地のキノコや野菜を食べ、リンゴでリキュールを作り、一見ふつうに暮らしている彼らとまた食事を共にする。
右腕が時々握手も辛いほどしびれると老婆は言った。
「年のせいか放射能のせいか、神様にしかわからないね」
人生観と科学がごっちゃに語られる。
このあたりでは皆そうだ。私にもその傾向がある。
諦めで疑いを乗りきる。
今日の日をそうしてつなぐ。
そのような生き方もある。
ここでしか生きられない人たちが、「その日の命をつなぐために、緩慢な危機を選ぶ」。
二年前にモスクワから学者が来て食品を調べてもらったら、この土地のものはなんでも食えると言った。
だから野菜も果物も魚も食べているが、現在ほとんどの住人の甲状腺が腫れたり熱をもったり、どうもおかしい。
疎開先の者も含めると、事故前千人以上いた村人の百人近くが死んでしまった。
行政当局からはここに住むなと言われているが、ほかに住むところもない。
この世から見捨てられている。
どうすればいいのか。
「三十キロ圏内に住むのは同盟として反対だ」という(ウクライナ・チェルノブイリ同盟~事故の遺族、被曝者団体からなる)議長は、しかし、原発の運転継続には賛成という。
ウクライナは全電力の三〇パーセントを原発に頼っている。
ロシアとの関係悪化で格安な石油輸入がままならない。
エネルギー危機のいま、やむをえない結論だというのだ。
国が、企業が、何をしようが、何を言おうが、土地の住民はそこに住み、そこで採れるものを食べて命をつなぐしかない。
チェルノブイリしかり、水俣しかり、そして今度は福島、宮城、茨城…。
蒔いた種は自分たちで引き受ける。
被害者であって加害者。
覚悟を決めるしかない。
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