2011年8月19日金曜日

なんでも食べれて幸せか

年間自殺者28万7,000人(02年)
精神障害1億人以上(09年)→人口100人中13人
子どもの3分の2が何らかの精神障害(北京市)

いま中国が経済発展著しく、それにともなって食生活に激変が生じている。
経済発展の度合いに従って肉食の比率が増えるというのが定説で、まあ肉に限らないが、とにかく今まで食べてこなかったようなものを食べられるようになったわけだ。
これを一般には食生活の向上などというが、はたしてそうだろうか。
おそらく日本同様、成人病が増えているだろうし、社会的ストレス等とも相まって上記のような精神面への影響まで疑われる。

前回のタイトルの“食ジプシー”というのは、私のように“正しい”食を求めてさまよう人々のことを言っているのだが(“原発ジプシー”からもらいました)、経済力でなんでもありの混乱した世界で、ほんらいあったはずの日本人の体に相応しい食が何なのか“考えなければならない”状況だ。
おそらく玄米正食というのはそうした状況下での絶対解たらんとするので、価値の多様性を信じる我々にとって違和感を感じるのだと思う。

だがこと食にかんしては、ある地域に暮らす人々にとって、それほどの選択肢があるわけではない。
たとえばヨーロッパの人々とくらべて、我々日本人は肉食への適合性が低いだろうというのは何となくわかると思う。
例の身土不二だろう、でも明治の文明開化の頃から日本人も肉を食べてきてるじゃないか、もういいかげん慣れただろう、と言われるかもしれない。
でもひとつの民族の食性というのは保守的で、百年かそこらで変化・適応できるものではない。
日本の気候風土じたい、気候変動が激しいとはいえ、それほど変化したわけではないのだから、そこに暮らす日本人の体も変わる必要がない。

世の中の変わりよう(けして進歩と言いたくない)の激しさにヒトの体が着いていけていない。
IT、グローバリズム等々で情報ばかりが先行し、日本人だけでなく(比較的)肉を食べていい欧米人も健康体めざしてマクロビ始めたり、そのせいで逆に体調悪くして(笑)元に戻ったり、(アンジェリーナ・ジョリーがそうらしい。マドンナはまだ玄米食べてるのかな?)もう混乱の極みとしか言いようがない。

欲望の果てに、なんでも食べられるというのは、じつはとても不幸せなことかもしれない。
その行き過ぎたさまが、ひとりの人間の体では病気として表れ、世界的には食料の偏在、生態系の破壊にまで及ぶ。


こんどはあえてなにも食べない、断食というやつにチャレンジしてみようかと思っている。
食ジプシーの遍歴はつづく。

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