2011年9月29日木曜日

自然農一家のその後

大島の起業セミナーで知り合った自然農一家、マイペースで野菜作りを続けるようすを日々ブログで発信しています。
なにしろ雑草を極力とらず、水も天の恵みに任せるというのですから、この暑い夏を乗り切れるのか心配していましたが、ブログを見ている限りではわりとのんびりとやってるようでした。

彼らがいま一番懸念しているのがイノシシの被害。
大島には元来野生のイノシシはいなかったのが、数年前から海を渡ってやってきて少しづつ数を増やしているようです。
なんと四国で野犬などに追われたあげく海に飛び込み、そのまま一直線に大島まで泳いできたそうで、まさに猪突猛進。
一匹だけでは繁殖できないだろうから、そういうケースが何度もあってうまい具合にオスもメスもやってきたということなのだろうか。

これは生態系の異常としてじつは深刻な問題かもしれない。
つまり大島の山には彼らのニッチがないので、里で畑を荒らすよりほかに生き延びる術がないのでは。
農家は作物が彼らに食われるのを座視するわけにもいかないので、人とイノシシとの壮絶な生存競争なのだ。

一家はわな猟の資格を取ったり、各種イノシシ除けを設けたりとあれこれ奮闘中。
この夏やってきた金太郎君も、このたび立派な犬小屋を作ってもらって有望な番犬だ。

エライ役目をしょわされて気が重いよ、おれ。


私としてもなんとか力になりたいところだが、初っ端から大島特有の厄介な問題を抱えてしまった一家。
自然農を続けつつ、野生動物とどう折り合いをつけていくのか、むしろこちらが勉強させていただく感じだ。


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2011年9月14日水曜日

やっぱりパンが好き②

日本マクドナルド初代社長、藤田 田(でん)氏の生前の言。
「幼い頃に馴染んだ味がその人の一生の味覚を左右する(だからマックのハンバーガーを刷り込もう、ひひひ)」

かくして私たち世代もみごとに学校給食によってパン食を刷り込まれてしまった。
この背景にあるのが、アメリカの余剰小麦輸出戦略、キッチンカーによる洋食普及運動、かの有名な「米を食べるとバカになる」etc,etc…。

その上、内外価格差もあいまって小麦の国内自給を放棄してしまったので、パン食を通じて日本人は食料の海外依存体質になり下がってしまった。
(もちろん小麦だけではない、大豆も日本人の大切な食料だったはずが、いまや国産大豆は貴重品だ。)

ようするにパンを食べるということは(今さらこんなこと言ってももうほとんど意味ないんだが)不自然なことだというのは一応自覚しておいたほうがいい。
日本の気候風土にそぐわない食うんぬんより何より私がキモチ悪いのは、一般国民が知らぬ間に明らかな意図をもって食の塗り替え、刷り込みが行われ、その食が、日本人の命の糧が他国に握られている現実だ。

われわれ日本人はもはや老若男女、日々パンなしでは生きていけない(とくにお年寄りは結構パンが好きだ)。
もうパンが好きで好きで、ブログで日々語らずにいられない中毒患者もたくさんいる。

このパン好きな日本人がモチモチ食感を好み、日本独特のもちもちパンが売れ(外国人は違和感を持つらしい)、ひいては米粉パンが登場、これもけっこうな評判で“ゴパン”なるご飯でパンが焼けるパン焼き器が売れに売れた、という非常に面白い展開に私は今ひそかに期待している。

2011年9月4日日曜日

やっぱりパンが好き

日本人の主食は米。
もっとお米を食べて国内の農業を守っていかなければいけない。

頭でわかっていても、われわれの世代は強烈に小麦食を刷り込まれてしまっている。
学校給食はほとんどパンの記憶しかないし(コッペパンにマーガリン)、朝もなんとなくトーストで済ませていた。
給食のパンははっきり言ってちっともうまくなかったが、朝はパンの習慣だけは抜けず。
時間に余裕があるなら朝もご飯を食べればいいのだが、うーん…。

じつはやっぱりパンが好き、なのである。
とくに私の場合、ある時期から食事制限で無添加、卵なし、乳製品なしの、今どき手に入りにくいパンしか食べれなくなったので、かえってパンへの執着が激しくなってしまった。

自然食品店などで売っているそうしたパンはたいがいパサパサであまりうまくない。
泣きそうな思いでもうちょっとマシなのはないかと探し回っていると、そのうちまあまあ許せるパンもあったりする。
と同時に、“健康的なパン”を食べているうちにそれに慣れてきたし、そのシンプルな味わいがわかってきた。
いわゆるフランスパンは卵も牛乳も使ってないが、いいパン屋で焼いたものはたしかに美味い。
むしろフランスパンでその店の程度がわかると言われるくらいだ。

ほんとうに美味いパンは、その素材の良さ、小麦本来の味が活きている。
今ではそこらで売ってるフニャッとした何が入ってるやらわからんパンなどおよそ買う気がしない。
だが悲しいかな、家の近辺にそうした“ほんもの”を売るパン屋がほとんどない。
とくにこちらに移ってきた十数年前はひどかった。

かくして食えない故の少々異常なパンへのこだわり、“わたしのパン”探しの旅がはじまった。

2011年9月2日金曜日

畑の先生

一昨年、約4年ぶりに畑に入ったとき、地元のおばあちゃんが懇切丁寧に指導してくれました。
畑というのは、場所が違えば土も違うし、土地の気候、周囲の環境等々によって野菜の作り方が変わってくるので、当初からなるべく素直にその土地のやり方に順応しようと考えていました。
土地の野菜作りに一番詳しいのは、やはり地元でずっと畑をやっているお年寄りの方たちです。
いろんな人がいるでしょうが、幸い私が出会った人たちは皆けっして押しつけがましいところがなく、むしろこちらのやり方を尊重してくれました。

こんどの先生も、たぶんもうかなり教え慣れて(?)いるせいか、すぐにこちらの経験度を理解して、あまり余計な口出しもせず、それでいて要点はしっかり押さえているという理想的な指導者でした。
ウネ上げ、種まきの溝ほりなど、私がこれまで我流でやってきたことも、おばあちゃんはひょいひょいと軽い身のこなしで見せてくれます。
おばあちゃんはけっして「こうするんだ」などと言いませんが、私はそばで黙って見ながら心の中で「おおー、なるほど」と何度も感心していました。

彼女のいい所はこちらのやることにもちゃんと興味を示してくれることで、私が植えたズッキーニのことなども知りたがりました。
思えば彼女に限らず、畑をやっているおばあちゃんたちって皆わりと好奇心旺盛で、たいがいこちらの話をこころよく聞いてくれます。
私はどちらかと言えばあまり人づきあいが上手ではないのですが、畑で出会ういなかのおばあちゃんたちとは打ち解けることができます。
下田の最初の畑の師匠が一度、「taoさん、畑にいるときはとてもスッキリした顔してる」と言いました。
畑の空気がなにか特別な作用をするのかもしれません。