2011年12月31日土曜日

Now's The Time!

映画“幸せの経済学”を見た。

中で印象的だったのは、デトロイトで主要産業の自動車工場がリーマンショック後軒並み撤退した後、仕事を失って食べるに困った住民たちがとにかく身近な土を耕し、食べ物を自分らで作ることから始めたというエピソードだった。
そして住民どうし互いに作物を分けあい助けあうということが自然と行われるようになったという。

キューバでも冷戦終結後、ソ連からの経済援助が途絶え、アメリカからは経済封鎖されるという絶体絶命の状況下で、国を挙げての食料生産、それもなるべく金をかけずに地力を循環活用させた有機農業で食料自給体制を確立したことはあまり知られていない。


窮地に追い込まれた一地域の住民がまず考える“どうやって食べていくか”。

このシチュエーションこそが問題解決のスタートラインであり、誰もが(少なくとも精神的に)この境地に立ってまずはこの命題から動き始めることが求められている。
そしてそれぞれが生きる場としての“地域”ということを考えなければならない。

これが映画のテーマ“ローカリゼーション”、“ローカルフーズ”ということだと思う。


じつはものすごくシンプルなことなのだけど、われわれ現代人はなかなかここに立ち返ることができない。
都会生活、消費社会のaddictionは強力で、いったん染みついたら抜け出すのは非常に困難だ。


そこでデトロイトやキューバの事例は大いなるヒントになる。
危機的状況というのはある意味チャンスなのだ。

誰もがいま一度われわれの置かれた状況を正しく認識し、覚悟を決めて“降りていく(downshift)”こと。


気づいた者はいち早く故里に戻り、あるいは自分の場所を見つけて、力を抜いてやれる範囲のことをやっている。

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2011年12月25日日曜日

自分なりの総括④

チェルノブイリ周辺の村の人たちが強制移住をかいくぐって、あえて汚染されたもとの土地に帰ってきてしまったという話。
暮らしとは何なのか、とても考えさせられる。

移住先でストレスを抱えたというのも、新しい土地に馴染めないというだけでなく、ふるさとを離れることによるアイデンティティの喪失が大きいのではないか。
若い人はまだしも、長年同じ土地に暮らしてきた老人たちにはそこでの時間の蓄積がある。
記憶、思い出はそれを経験した場所というのが大きなファクターだから、お年寄りたちは村からなかなか離れたがらない。
加えてそこで土に触れ、土地の恵みに生かされてきたと感じている人々にとっては、土地そのものがアイデンティティの核になっているのだと思う。

住む土地にしっかりと根を張った暮らしというものはそう簡単に揺るがない。
食を育む土さえあれば、嵐が来ようが洪水に飲まれようが、一旦は荒らされた土地も少しずつもとの状態に戻してやり直すことができた。
大きな時間の中では“何とかなる”ような安心感に支えられて暮らしが営まれてきた。




今度ばかりは“何とかならない”事態なのだと言われてもふつうの人間にはピンと来ない。
その毒は目に見えないし臭いもしないし、“すぐには体に異常も起こりません”なんて曖昧なことを言う。

土が汚染されているので剥がして隔離するのだそうだ。
山は手のつけようもないのでそのままにして人があまり近づかないようにする。
いい土ができる山の落ち葉も使ってはいけないらしい。

人間も自然の一部のはずだが、その人間の行為が自然とかけ離れていき、その結果としてある地域が人為的に隔絶せざるをえない場所となる。
人間の働きかけによって、他でもないその人間の歴史が終わってしまう土地が生まれる。


想像を絶する事態。
しようがないのか。


でも、想像できるのは人間だけだ。

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2011年12月19日月曜日

自分なりの総括③

福島の米から相次いで基準値以上のセシウムが検出され、せっかくの1年の成果も出荷停止となっていると聞く。

農家は土地に根を下ろし、そこで作物を作ることは当たり前の行為だと思う。
だからこの春、はたしてこの地にいつものように種を蒔いてよいのかどうか逡巡したであろう地元の農家も、とりあえずはいつもどおりにやってみたのだろう。
結果いつもと何ら変わりなく見えた新米も、検査器の数値のかぎりでは出荷してはいけないということになった。
当たり前にやったことが数字ひとつでパーになった。

それでは収入もないので何とかしろというだけの話ではないと思う。
もしかするとその土地ではもう作物は作れないのかもしれない。
そのとき農家はいったいどうしたらいいのか。

よその土地へ移って新たに始めればいいじゃないかなどと単純に考えてはいけない。
そう簡単な話ではないだろう。
土地への愛着ということもあるかもしれない。

思うに農業というのは土地土地の気候風土にしたがった適地適作というものがあり、土地ごとの慣習もあり、たとえよそでの経験があったとしても、そうやすやすと新たな土地に溶け込んでやっていけるものでもないんじゃないか。
それもかなりの数の農家が散り散りになって、それぞれの新たな地域で再スタートを切るというのはかなり困難な話だと思う。

それではムラごとそっくり別の場所へ移しましょう、皆さんそこで今までどおりやっていただいて構いません、なんて話になるとすればまさに都会の土を知らない人間が考えそうなことで(都会人の自分が言ってもあまり説得力ないが)、ある土地の営みは個別固有のもので相互に交換の利くようなものではない。


チェルノブイリ周辺の村から移動させられた人たちは、逆に移った先でストレスを抱えたりして、汚染を承知で帰ってきてしてしまった例も多いと聞く。
明らかに人体に害があるとわかっていながら、かろうじて自分たちが食べるために作り、作るためにそこに住む。

それが何なのか知りたいと思う。

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2011年12月16日金曜日

自分なりの総括②

12月9日の朝日新聞紙上で、脚本家の倉本聰氏がTPP論議に対する見解を述べている。

土から離れた議論 農業を知らない 東京目線の思考

「農林漁業は統御できない自然を相手にするところから始まっている。工業は、すべてを統御できるという考え方に立っている。この違いはでかいですよ。統御できるもので勝負して、統御できないものは切り捨てる。そういう考え方が、TPPの最大の問題点だと思えるんです」

「自然を征服できなければ、その土地を捨てて、次の場所へ移ればいい。それが米国流の資本主義の思考じゃないかな。でも、日本の農業は明らかに違う。土着なんです。天候が悪くて不作の年は天運だと受け止め、歯をくいしばって細い作物で生きていく。それが農業の本来の姿でしょう」


アメリカの農業のやり方と日本のそれとでは、そもそも根っこの思想がまったく違っている。
氏はそんな日本の農業をひと言で“土着”と称している。

土地を離れられない、住む土地といわば運命共同体となって苦楽を共にする生き方。
それが実は何よりも揺るぎない、たしかな暮らしの土台なのだと思う。


いままではたしかにそうだった。
だが果たしてこれからもそうであり続けられるだろうか。

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2011年12月14日水曜日

自分なりの総括①

3月の震災とそれに続く甚大事故からすでに9か月。
とくに被災地から遠いこちら西日本では記憶の風化も早い気がしている。

地方に移ってからの15年間の記録から始まったこのブログ。
あらためてタイトルを解釈すると、そこには半中央自然回帰の思いがある。

私の理想は、自分の住む土地にしっかり根を下ろしたたしかな暮らし。
土と関わって食べるものを作り、食をつうじて土地の人たちとの関係を結ぶ。

このたびの出来事はそうした自分の思いを再確認させ、さらにいっそう強めることにもなった。

私がいま問いたいのは、汚染によってこれからその自分の土地で生きていくことができなくなるということの意味だ。
土地から望まずして引き剥がされる人間と、人の営みが途絶える土地と。

町住みの人間のごく観念的な小さなブログなりにこの数ヶ月で考えてきたことをまとめておくことにする。

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