2010年12月24日金曜日

じゃがいもの話

これからしばらくは畑で作った野菜のいくつかについて書くことにします。

じゃがいもは冷涼な気候に適した野菜で、日本の温暖地ではに種イモを植え、初夏初冬に収穫となります。
秋に出回る新じゃがというのは、たぶん主産地が北海道産なのでずれているのでしょう。

家庭菜園をしていると本来の野菜のがわかるので、今の時季に出回るいちごなどには違和感を覚えます。
主産地という考えも、ある地域で単一の野菜だけを集中的に作るというのは、経済合理性があっても土地を傷めるので無理があります。

まず畑の準備ですが、日本の土は酸性土が多いため、ふつう耕す時に石灰をまいて中和するのですが、アルカリ成分が多いジャガイモの場合は石灰は厳禁です。

畑の土が酸性かどうか判断するのに、僕はスギナが生えているかどうかを見ます。
山口の畑はこのスギナがまったく見当たらず、したがって石灰は一度もまいたことがありません。

種イモにはウイルス感染の恐れがあるため、厳選されたものを店で買わなければなりません。
買ってきた種イモを半分に切ってから畑に植えつけます。
発芽まで3週間近くかかり、夏は植付けが早すぎると腐ってしまうので注意が必要です。
種イモからは何本かの芽が伸びてくるので、2~3本だけ残してあとは手でかきとります(芽かき)。
水やりが多いほど育ちもいいようです。
やがて2ヶ月半ほどで白か紫花が咲いた後、枯れてきたら掘り取ります。


さて同じイモでも、じゃがいもの他、さつまいも里芋など、皆違う分類になります。

じゃがいもはナス科の野菜で中南米原産です。
花を見るとたしかにナスの花と似ているのでなるほどと思います。
トマトピーマンとうがらしなどもナス科です。漢方的には陰性で体を冷やす野菜です)

里芋(サトイモ科)などは日本になじみ深いですが、タロイモなんかに近く(葉の形が似ている)熱帯原産ではないでしょうか。

さつまいもはじゃがいもと同じ南米原産の伝来作物ですがヒルガオ科つる性です。
分類が違えば生育時季や適地、調理方法、保存の仕方などが違ってくるわけです。
さつまいもが“風邪を引く”とは知りませんでした。
(収穫後、じゃがいもと同じように寒い所に放っておくとコチコチに固まって木片のようになってしまって食べられなくなります)

じゃがいもは同じナス科のトマトやナス(→ウイルス感染が多い)との連作(同じ場所に続けて作ること)に気をつけて作れば、冬場の保存もきくので重宝する野菜です。
種類もいろいろありますが、ウチではキタアカリという品種のファンです。
男爵系なのか、粉質でホクホクして独特の味があります。

2010年12月19日日曜日

アイガモ農法


合鴨(アイガモ)農法にトライしている県内の意欲的な農家を見学に行きました。

合鴨農法は日本ではもともと福岡県の農家が始めて今や全国に広がっている有畜複合農業の一種で、タイやベトナムなど東南アジアの国々でも昔からあるコメ栽培のやり方です。
田んぼの脇で鴨を飼い、日中は田んぼに放して雑草を食べさせそのフンが肥料になるため、除草剤や化学肥料の要らない有機栽培の米作りができるというものです。
春に幼鳥を仕入れ、田植え後しばらくしてイネがある程度育った頃に放すのでイネ以外の雑草だけが餌になり(田んぼではヒエなどがよく育ちます)、収穫後はしっかり太った鴨が食卓に上るというわけです。
(餌が餌だけに脂肪分などは少ないでしょうが安全な肉といえます)

去年の鴨をいただきました

鴨を狙うイタチなどがいるので周りに電気柵を張ったり(写真の青いネット)、そもそも田んぼの立地自体、なるべく天敵に飛び込まれにくい平坦な場所を選ぶなど苦労も多いとのことでした。
昔は日本でも農家にはたいがい牛や馬などの動物がいて、田んぼでの作業や荷運びなどに使っていたようです。
アジアの農地に行くと今でもそうしたのどかな風景が見られるようですが、日本同様しだいに失われていくのでしょうか。

このときは知り合いの子どもたちも連れていったので、田んぼを泳ぐ鴨を見て大騒ぎでした。
ついでに田植えも体験して泥まみれに。

泥沼状態

この翌年、なんとこの一家は自分たちで田んぼを借りて家まで建て、本当に米作りを始めてしまったのでした。

2010年12月16日木曜日

私の“こだわり”(2)

遺伝子組み換え食品が入ってきたとき、まずは自己防衛というか、ちょうど食事療法などで体質改善を図っていた時期だったので、これはひとまず避けておくものという認識で情報収集していました。

たとえば大豆の場合、豆腐納豆には表示義務がある(国産大豆使用もしくは輸入でも有機栽培とあればOK)が、大豆油には表示義務がないので一切購入しない。
ただ大豆は家畜の飼料にもなっていて、この場合ほとんど避けようがない(とうもろこしも同様)ので、肉自体を食べなくなったりしました。

とうもろこしを畑で作るときも、売っている種の袋を見るとほとんどがアメリカ産との表示なので使うわけにはいかず、地元の種を分けてもらったりしていました。

頑固な“こだわり”を持って“こだわり”の集いに参加したわけです。

健康の回復というはっきりした目的があるので、遺伝子組み換えに限らず、あらゆる食材に関して知ろうという思いがありました。
そして食を追究すれば自然と“農”や“生命”に関心は広がり、しだいに個人的な領分に留まらず広くとらえて考えたいと思うようになりました。
遺伝子組み換えにしても、知るにつれこれは自分ひとりの拒否ですむ問題じゃないなと感じていました。

要するに政治的な目覚めなのですが、集いではなにも不買運動を起こそうとか企てていたわけではありません。
とくに今回のような場ではその辺りがとても微妙で危険なところかもしれません。
小麦の話題で啓蒙的な試みをしたのも、顔見知りのごく個人的なつながりの中で自分の問題意識を問い掛けてみたい、とくにこの地域の場で考えてみたいという単純な動機からでした。

今でも当時の問題意識は持ち続けていますが、あの頃は新鮮でいい時代でした。

2010年12月14日火曜日

畑で性格診断?


見合い写真に使うか

ニューギニアのとある民族には、結婚前に相手の菜園を見に行くという慣わしがあるそうです。
つまり畑を見ればその人の人となりが大体わかるというのです。
なるほど、たしかに前々から自分の畑はよそと違って不細工だと感じていました。
細かい説明は省きますが、家庭菜園をやっている人が見たら、ああ、これはちょっとな…って感じるに違いないのです。

去年、久々に別の場所でまた畑をしたのですが、やっぱりいつもの感じになっていました。
まあひと言で言えば、細やかさに欠けるってところでしょうか。
作る野菜も偏っているし。
子どもの頃、絵を描くのが好きでよく描いていましたが、ある時期から自分の絵がいかにも自分らしいというか、いつもの感じになるのがイヤになってやめてしまいました。

畑も一種のアート、自己表現なんですね。

2010年12月12日日曜日

肉を食べるということ

こだわりの集いのクライマックスは、最終月に2週連続で鶏を調理する試みでした。

農作物の栽培に当たる飼育は無理なので、収穫すなわちシメることからでしたが、これが大騒ぎでした。
みずからの手で命を絶ち、感謝していただく、という貴重な体験ですが、日常はどこかで誰かがしている事実です。

※“いのちの食べかた”(原題Our daily bread)という映画でヨーロッパの現状がわかる。

なあんてまたエラソーなこと言ってる自分も初めての経験でした。

都会暮らしの大人が初めて鶏を殺すのはある意味とても興味深いものでした。
そしてシメてしまえばそれがあっという間に“もの”になってしまって、皆さばさばと作業を進めていたのがなんだかおかしいくらいでした。

今年、宮崎県で家畜の口蹄疫が広がり、殺処分された牛や豚は288,643頭だったそうです。
中には被害拡大を防ぐために健康なものまでが殺されました。
ニュース報道だけでは現場の実情がわからず、「ずいぶん機械的に処理するなあ」などと思っていましたが、じつは一人ひとりの畜産農家の思いは複雑だったようです。
プロはぼくらほどナイーブではないでしょうが、それでもせっかく育てた牛や豚を甲斐なく殺すことへの無念はあったでしょう。
口蹄疫自体は人の健康には影響しないが、畜肉の品質低下が値崩れやブランド価値の低下につながるらしい。
大規模な畜産と流通と消費のシステム上のトラブルであって、動物は機械的に処分せざるをえなかった。

肉食に関してはさらに家畜の飼料の問題があります。

現在主流の配合(濃厚)飼料は、大豆とうもろこしなどの穀物原料をほぼ100%輸入に頼っています。
2年前の世界的な食糧危機は穀物価格の高騰が原因だったそうですが、この穀物の高騰自体、中国をはじめとした新興国の肉食の急増が一因でした(中国も飼料用穀物を輸入しています)。
今や世界中が穀物を奪い合うような状況にあります。

金持ちは肉を食べて穀物をどんどん消費していきます。
そしてお金のない人は自分が食べる分の米や小麦やとうもろこしが手に入りません。

どこかおかしくないですか。

そして日本が輸入している大豆とうもろこしのほぼ100%が遺伝子組み換えです。

2010年12月10日金曜日

私の“こだわり”

パン作りを教える(犬は興味なし)

自分の体のことからはじまって、食、農へとしだいに関心が広がっていったときに、ちょうど参加したのがこだわりの集いだったわけですが、ちょっとばかり思い入れが強すぎたかもしれません。

その前年に日本で遺伝子組み換え農産物が一部認められ、流通し始めていたということなどが念頭にあって、共に考える機会になるのではという期待などがありました。

これもたまたまですが、その年の夏ごろから家で自家製酵母を使ったパン作りをしていたので、集いの中で自然の家の小麦を使ったパン作りの指導をすることになりました。
まあにわか仕込みですからその点は十分了解を頂いて、とにかくここで採れた小麦でパンがちゃんと焼けるのかどうかを体験してみようというわけです。

それまで家で各種の小麦を使って試行錯誤していたため、じつはその結果もわかった上でのある種啓蒙的な試みだったのですが(国産のいわゆる中力小麦グルテン不足のためふっくらしたパンは焼きにくい)、単に失敗してまずいパンを食べさせられたと思った人もいたかもしれません。

なにが啓蒙だったかというと、まずふだん口にしているふっくらやわらかパンの原料は輸入小麦であって、完全に外国に依存しているということ。
本来日本食には馴染まないパンが欧米型食生活の象徴としてすっかり日本の食卓に定着しているということ、などなど。
(年配の方々なら戦後の食糧難を経験され、すいとんやうどんを食べ、当初パンは“代用食”だったことや、しだいにお米を食べなくなったことなどに思いを馳せてくれるのではないか…)

啓蒙などと若輩者がエラソーなことを…と思われないように振舞ってはいましたが、期待を込めて議論を吹っかけたような感じだったのです。
果たしてその反応は…

2010年12月8日水曜日

バケツ稲

各種バケツを占領

自然の家ではふつう家庭菜園では作らないような作物も育てていました。

こだわりの集いでもソバをはじめ、大豆小麦こんにゃくいもなどを植えて、豆腐、うどん、パン、こんにゃくなどいろいろな加工品を作りました。

順序で言えば、集いの始まった夏の終わりにまずソバをまき、その収穫の頃に小麦をまいて真冬の1月に麦踏みをし、初夏にこんにゃくいもを植え付け、6月には麦刈りと大豆の種まきでした。(春以降の作業は集いの2期目)

メンバー各自が家庭で稲を育ててみようという試みもありました。
以前から聞いてはいた“バケツ稲”というもので、たしか子供用の学習キットをそのまま使いました。

まず種もみを数日水にかして(=漬けて)から、数粒づつをバケツ(底の深いもの)数個に分けて土に埋めます。
土は適当に用意したもので、とくに肥料などは入れなかったはずですが、水の調節だけでしっかり穂をつけてくれました。

夏の土用(7月20日前後からの10日間ほど)にはしっかり土用干し(一定期間水を抜いて根の張りをよくする)もして、稲の花の観察(開花日の朝、ごく短い間だけ見られます)もできました。

そして最後にとれたお米は茶碗一杯にもなったでしょうか。せっかく作った初めてのお米なので、しっかり食べたような食べなかったような…。
食べたとすれば、もちろんそれだけでは少なすぎたので別に米を足して炊いたのでしょう。

八十八の手間といいますが、それはちゃんと田んぼで作る場合の話で、われわれにお百姓さんの苦労がわかったとは言いがたいと思います。
ただ例えば子どものいる家庭ならいい教育材料にはなるでしょう。
都会の子どもには田んぼすら珍しいかもしれないので、日本人の基本として一度は体験してみるべきでは。

そういえば小学校の頃、校庭の片隅に田んぼが作ってあって、校長先生がひとりで淡々と稲を育てていたような気もするが…。

2010年12月6日月曜日

そばの花

いちめんに咲くそばの花。ここは天国か?

こだわりの集い第1回(8月20日頃)でソバの種をまきました。

10月にはきれいな白い花をつけ、月末頃の集まりで早くも収穫できました。
まいた後はほとんどほったらかしで手がかからず、逆に収穫後の脱穀作業が大変だということがわかりました。

収穫後しばらく軒下などに干して乾燥させ、筵(むしろ)の上で叩いて脱穀します。
そのあと唐箕(とうみ)という時代がかった道具を使って混ざったごみを吹き飛ばし、さらにわざわざ石臼を使ってそば粉にしました。

今回の行事では、食べごとの大変さを体験するためにあえて昔ながらの作業工程をとったのでしたが、こういった道具類が自然の家にはほとんど揃っています。

ちょうど近所にソバ塾という集まりがあり、有志数名で自然の家のソバを持参してソバ打ちを勉強に行きました。
このとき聞いた話では、そもそもソバは強い植物でやせた土地でも育つため、かつては山の斜面などで焼畑栽培もされていて、コメが不作の時の救荒作物でもあったとのことです(栽培時季と生長の早さで納得)。

今でこそやれ信州産だのどうのとブランドめいたことが言われるが、昔から日本各地でソバが作られていて土地には土地のソバがあり、本来それを味わえばいいのだと、うどんのような太いソバをしみじみと味わって食べました。

2010年12月4日土曜日

こだわりの集い

さて自然の家でのメインの活動は月一度の“食にこだわり暮らしを考える集い”でした。

自然の家の畑で作物を育て、それを収穫し、調理・加工して皆で食べるという体験を通して、普段の食生活やそれに付随する暮らしのあり方を見つめ直そうという趣旨の、主に大人を対象とした半年間の行事です。

毎回楽しかったのは皆で外でお昼を食べたことで、だいたい午前中は畑で体を動かすか、調理で大わらわだったので、いつもやや遅れ気味になるお昼はしっかりお腹もすいていて皆よく食べました。
20人ほどが協力してごはん作りをし(それもわざわざ羽釜でご飯を炊いたり、大鍋を使ったりするので火おこしから始まって大変)、自然発生的なリーダー格のおばさんの指示で皆てきぱきと動いて、食べることへの情熱ってすごいなあといつも感心していました。
(というよりただ食いっぱぐれたくないという切羽詰った行動だったかもしれません)

いい雰囲気?

はじめのうちはたしか畑作業もそれほどなく、前もって自然の家で用意した材料(もちろん自然の家でとれたもの)を使って、ひたすら作っては食べだった気がします。
おばさん連中にしたら日常生活の延長で自然に体が動いたのでしょうが、連れのご主人やこどもたちにしてみれば新鮮な体験だったかもしれません。
食事作りって(ほんとうは)こんなに大変なんだってことがわかれば、まずは第一歩だったのではないでしょうか。

そしてみんなでいっしょにごはんを食べるとこんなにおいしいんだ(こんないい空気の中ならなおさら)と自然に感じられたはずです。

からだでわかるってことが一番だと思います。