2010年10月31日日曜日

畑で弁当

もういやっ、てほどピーマン
下田の畑もだいぶ進み、もうピーマンも実っています。
この日は玄米ご飯の弁当持参で長時間作業したのでした。
そういえばトマトなども摘んで食べました。
しかしやっぱり植えすぎですね。
死ぬほどピーマン採れました。

2010年10月29日金曜日

収穫のくふう

前回の最後のくだりで同じ野菜が一気に取れるということを書きましたが、その後経験を重ねていろいろと工夫するようになりました。

たとえばニンジンの場合、最初は買ってきたタネ一袋を全部蒔いてしまったものですが、半量づつ春と秋に蒔くとか、大根などは1週間~10日ほどの間隔をあけて少しづつ蒔くと(時差蒔きと呼んでいる)、冬の間わりと長く適度に収穫が続くなどといったことがわかってきました。
夏の野菜は実をとることが多く、ひとつの株から次々になるので株自体を植えすぎないことです。
キャベツや白菜などはそれこそ一球で十分な量になり、絶対に食べきれなくなるのでわざわざ畑で作ったりしません。(虫食いもひどくて難しいし)

タネの袋などには営業農家向けのやり方が書いてあるので、こういったことはやってみないとわからないのです。

2010年10月27日水曜日

食べごとへの興味

下田で生活を始めるに当たっては、まずちゃんと食べることが第一でした。

すでに玄米を中心とした食事にしていたので、何を食べるかという点では迷いがなかった。
最初に下田を見に行ったとき、幸運にも自然食のお店を見つけて、この土地にひとつ安心というか、ある意味決め手にもなったのでした。
そして自分ひとりのためとはいえ、来る日も来る日も食事作りをすることになったのですが、これが意外と面白い。

まず一番時間のかかる玄米ご飯炊きから取り掛かり、頃合いを見て乾物などを水戻しし、汁物のだしをとり(ちゃんと昆布とかつお節とで)、野菜を洗って、煮もの(野菜によって煮えやすい順が違う)、焼きもの、炒め物はできたてがいいので最後に、という具合に段取りがあって、これを次々にこなしていくのはなんだか単純に面白い(慣れてくると切れ目なくやれ、時間のめどが立つようになる)。

毎日繰り返していると知らぬ間に手際がよくなってくるし、食材の特徴を知って工夫も出てくる。
そのうち畑からの収穫が出てきて、これをどう調理しようかと考えます(同じ野菜ばかり次々できてくるので)。

男の家庭菜園というと畑の中で汗を流して、というイメージがありますが、できた野菜をどう食べるかがモンダイなのです。(食べきれないぶんはおすそ分けです。もう喜んで)

2010年10月26日火曜日

畑作業で一番面倒なこと

抜けども抜けども…
それは草引き(雑草とり)です。
とくに夏の畑は雑草の天国なので、はじめから思い知らされました。
わたしは要領が悪いので全体を適度にということができず、どこか一部分を集中的にやってしまい、いつも時間切れで終わってしまいます。
草取りに関しては大雑把な性格のほうが向いているかもしれません。

自然農法などでは雑草も抜かないらしいので、すこし真似してみようかとも思うのですが、つい気になって取ってしまいます。
はじめのとき、手が回らずに一部草ぼうぼうになってしまったのですが、そこに植えたはずのすいかの苗は見事に枯れてしまいました。
やはり植えてしばらくの間は草に負けないように管理が必要なようです。

まあ、草と遊んでいるくらいの気でいたほうがいいのかもしれません。

2010年10月24日日曜日

taotao?

2008年の1月、ひさしぶりに東京へ行き、これまたひさしぶりに上野動物園で老パンダ(リンリン)を見ました。
ところがそれから間もなく、4月にはリンリンは死んでしまいました。
まったくの偶然でしたが、リンリンの最後を看取れたような気がしました。

小学校時代の自分のあだ名もリンリンだったし。
「ねえ、ごはんまだ?」
「さっき食べたでしょ」
プロフィールの写真はその時撮った哀愁漂うリンリンの後ろ姿ですが、taotaoタオタオ=道道)と名づけました。

2010年10月22日金曜日

食べることからはじまって

そもそもなぜ畑になど興味を持つようになったかというと、自分の食事作りをするようになり、さらにその素材にも気を使うようになっていたからです。
いわゆる自然食品店に通うようになっていましたが、加工品は別として、野菜や米などは出どころがはっきりわかっているに越したことはありません。
それなら自分で作れば一番いいだろうと誰しも思うことで、その点田舎は都会と比べ恵まれています。

問題は自分が下田という土地ではよそ者だったということです。
やっぱり人の縁というのは大切です。

縁ということでは、下田に来て間もなく、例の海への散歩道の途中にあった干物(ひもの)やさんと馴染みになれたのも幸運でした。
海の幸と畑の野菜(米は畑の師匠が作っていました)で食生活は完璧、というわけです。

思えば食べごとを通じて人づきあいが広がっていった気がします。

2010年10月19日火曜日

畑の条件

畑を始めてからわかったことですが、よそに借りてやる場合、
①家から畑までの距離
②畑の規模
③日当たり
④水の確保
などを考えなければなりません。

この点では、
①→車で15分かかり、通うのがだんだん面倒になってくる
②→とにかく全体で100坪以上はあろうかという…
③→これは問題なし
④→すぐそばに川が流れているが、いちいち汲んでくるのは大変

とくに①はわりとネックになり、夏作の場合は1週間もほっておけば草ぼうぼう、実はなり放題。
そしてもちろん車の燃料代が馬鹿になりません。
②に関しては、なにも土地全体を使う必要もないのですが、最初はそういうことがわからない。
そして規模が大きければそれだけ収穫物も増える…ということもはじめはわからないのでした。
④の水やりは、そもそも通いなので毎日できず、そのうち考えなくなる。

いろいろ具体的な問題点が挙がってくるにつれ、己の無知・無分別・非常識等が明らかになってゆくのでした。

2010年10月17日日曜日

今にして思えば…

さて、下田にて畑を始めた当時のことですが、いま振り返ってみるとまあ気楽なもんです。
基本的には私の世間知らずというのがあるのだけど、何か始めるときは頭を真っ白にして思い切って飛び込んでみるというのも、人によってはいいのかもしれません。
信頼関係ということでは、下田に来てこの畑に関係する人々と知り合いになって1年近くが経っていました。
この下田時代というのは本当に人間関係に恵まれまして、例の自然食屋さんから次第に人の輪が広がっていき、地元の自然や健康などを考える集いに参加するようになって知り合ったのが、今回の私の畑の師匠だったわけです。
一緒に山歩きをしたり、個人的な相談などもするようになって、少しずつ打ち解けていったのだと思います。
だからある意味では機が熟していたのかもしれません。
畑に関しては色々な面で先方にはずいぶんと負担をかけていたのですが、「まあいいからやってみろ」というカンジだったんだろうな、今思えば…。

そして初夏の清々しい午前のこと、初めて鍬を握り、ひたすら一直線に伸びる畑の畝を掘り進む自分がいました。

2010年10月15日金曜日

遅ればせながら

周囲に刺激されて本ブログを始めることにしました。
内容は地方移住以来ほそぼそと続けてきた(現在中断中ですが)畑の話です。
とりあえず回想形式で思い出すままに書き綴っていきたいと思っています。

そもそもの始まりは伊豆下田暮らしの頃にさかのぼります。
近くの海岸までの散歩の途中、野菜の畑がきれいに作ってあるのを見ながら、そのうち誰かあたりのおばちゃんと知り合いになって、畑作りを教えてもらおうかなどと考えていたのです。
1年が過ぎた頃、自然食のお店をつうじて知り合いになった方から、「畑をやろう」と声をかけてもらいました。
場所は車で15分ほどかかる所でしたが、タダで借りられるとの話でした。
今思えば初心者がやるにはあまりに広すぎる畑でしたが、さして考えず導かれるまま鍬をふっている自分がそこにありました。
5月の初夏、新緑が眩しいころでした。