70年代ロックがやっぱりいい。
ジョニ・ミッチェルの“夏草の誘い”(1975年作、原題“The Hissing of Summer Lawns ”~直訳すると「夏の芝生がしゅうしゅういう音」。聞いたことないな、そんな音…)久々に聴いていて、あの夏の日のしんどい草取りのことを思い出してしまった。
最初期の下田の(下田、下田というが、実際は南伊豆市だった、借りていた畑は)畑では、もう何がなんだか訳もわからず、うわ、草生えてる、抜かなきゃ、状態だったので問題外として、山口の畑のときは周囲が住宅地だったこともあり、畝間よりもまず畑のまわりの草刈りに気を使っていた。
その日は覚悟を決めて、朝がた日の高くなる前または夕方に大汗かいて、一度では終わらずに四周を何日かかけて、ああ、思い出すだけで詮無い…。
(せんない)~これこちらの方言だと思っていたが、変換候補にあったので辞書で調べると、
それをすることによって報いられる事が何もない様子だ。(用例「今さら悔んでも―(=むだな)事だ」)
とある。
うん、近いけど、こちらでは「…だからやりきれない」という感じのブルージーなニュアンスが加わる。
そう、けして報われないんだが、この草刈りというのは、ひとつの達成感が感じられる作業でもあり、じつは大嫌いというわけでもなかった。
毎年ちょうど体調が回復してくる夏の終わりごろのひと汗はなかなか爽快だった。
帰り道、カナカナの鳴き声など聞きながら…。
この草取りをいっさいせずに野菜を作ろうとしている人と最近知り合いになった。
耕すこともしないらしい。
種を蒔いて、収穫するまで何もしないのか…。
そんなウマイ話があるのだろうか。
農業にこれが絶対というセオリーなどない。
山の柿の木には何もせずとも毎年ちゃんと柿がなる。
自然の地力だけで極力人間が関与せずに恵みに与る方法とは…。
2011年8月3日水曜日
2011年6月27日月曜日
Rain Song
夜降る雨の音が好きだ。
東京にいた頃は「ああ、雨が降っているな」くらいにしか感じていなかったが、現在ささやかながら庭のある家に暮らしていると、雨の音もいくぶんか風情があるようだ。
夜はとくにまわりが静かになって、降り出した雨の音だけが聞こえている。
屋根瓦に跳ね返る音。
雨どいに溜まって溢れ出す音。
木の葉にばらばら当たる音…。
いずれの雨も終いは庭の土に下りて滲みこんでいくだろう。
この心地よい子守歌を聞きながら、いつまでたっても私は眠りに落ちることができない。
東京にいた頃は「ああ、雨が降っているな」くらいにしか感じていなかったが、現在ささやかながら庭のある家に暮らしていると、雨の音もいくぶんか風情があるようだ。
夜はとくにまわりが静かになって、降り出した雨の音だけが聞こえている。
屋根瓦に跳ね返る音。
雨どいに溜まって溢れ出す音。
木の葉にばらばら当たる音…。
いずれの雨も終いは庭の土に下りて滲みこんでいくだろう。
この心地よい子守歌を聞きながら、いつまでたっても私は眠りに落ちることができない。
2011年6月20日月曜日
終わらない悪夢とブリューゲルの雪中の狩人
好きな映画の話。
“惑星ソラリス”1972年ソ連映画、アンドレイ・タルコフスキー監督
(原作スタニスラフ・レム“ソラリスの陽のもとに”)
近未来、ソラリスなる星では、人間の精神構造に作用して、夜ごとその人の一番の心の傷が夢に現れる(ばかりか、“現実化”する)。
地球からソラリスに派遣される人間は、異空間で自分自身との葛藤に消耗していく。
そんな異様な状況への対応からか、ソラリスステーション内の図書室にはあらゆる地球の書物が揃えられていて、そのほか精神安定のためか名画のいくつかも飾られている。
そんな中の一枚がブリューゲルの“雪中の狩人”。
映画ではバッハのコラールが流れる中、丹念にこの絵をカメラがなぞり、いつしかそれは主人公の懐かしい故郷の風景と重なっている。
いつまでも終わらない悪夢の連続と、かつてあったふるさとのあたりまえの景色。
この映画を初めて観た時からふしぎと忘れがたい絵だったが、今まさに、なにか耐え難い魅力を持った絵に見えてくる。
四季のめぐりと繰り返される人間の営み。
この絵から人間の存在だけが抜け落ち(動物たちは残るだろう。放射能のことなど知りようもないから)、悲しい風景だけが残される。
ちなみにこの映画のリメイク版(S.ソダーバーグ監督、2002年アメリカ映画)はまったく別物なので注意。
“惑星ソラリス”1972年ソ連映画、アンドレイ・タルコフスキー監督
(原作スタニスラフ・レム“ソラリスの陽のもとに”)
近未来、ソラリスなる星では、人間の精神構造に作用して、夜ごとその人の一番の心の傷が夢に現れる(ばかりか、“現実化”する)。
地球からソラリスに派遣される人間は、異空間で自分自身との葛藤に消耗していく。
そんな異様な状況への対応からか、ソラリスステーション内の図書室にはあらゆる地球の書物が揃えられていて、そのほか精神安定のためか名画のいくつかも飾られている。
そんな中の一枚がブリューゲルの“雪中の狩人”。
映画ではバッハのコラールが流れる中、丹念にこの絵をカメラがなぞり、いつしかそれは主人公の懐かしい故郷の風景と重なっている。
いつまでも終わらない悪夢の連続と、かつてあったふるさとのあたりまえの景色。
この映画を初めて観た時からふしぎと忘れがたい絵だったが、今まさに、なにか耐え難い魅力を持った絵に見えてくる。
四季のめぐりと繰り返される人間の営み。
この絵から人間の存在だけが抜け落ち(動物たちは残るだろう。放射能のことなど知りようもないから)、悲しい風景だけが残される。
ちなみにこの映画のリメイク版(S.ソダーバーグ監督、2002年アメリカ映画)はまったく別物なので注意。
2011年5月24日火曜日
神の仕業
今回の震災の賠償問題で、責任逃れのためにこんな発言をした人がいる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110520-00000050-jij-pol
最高の人知を働かせ万全の津波対策を講じたが、図らずも「神による異常な自然現象」のためにこのたびの原発事故が生じたので、電力会社には責任がないというのである。
原子力損害賠償法では、たしかに「ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない」(第3条)として免責条項を定めている。
これについて予見可能性の点からも今回は人災であり、かならずしもこの条項には該当しない旨の批判が出ている。
現実の賠償問題なので法的判断の問題なのだろうが、これは倫理上は人災であることをけっして免れない。
つまり原子力というものを、人間の知力によって制御可能なものとして解放した時点で、人間には絶対の安全責任というものが生じたはずである。
自然という神と対決して原子力利用を進める以上、人間だけがすべての責任を負うことになる。
それがいざ誰の責任かとなったときに、「あんな天災に遭ったらもう我々の手には負えません。だからすべて神様の仕業なのです」と平気で言い切ったのだ。
無神論者というのは都合の悪い時には神を利用することもあるのだ。
まあ、こういう人たちでなけりゃ、原発推進なんてできなかったのかもしれないが。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110520-00000050-jij-pol
最高の人知を働かせ万全の津波対策を講じたが、図らずも「神による異常な自然現象」のためにこのたびの原発事故が生じたので、電力会社には責任がないというのである。
原子力損害賠償法では、たしかに「ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない」(第3条)として免責条項を定めている。
これについて予見可能性の点からも今回は人災であり、かならずしもこの条項には該当しない旨の批判が出ている。
現実の賠償問題なので法的判断の問題なのだろうが、これは倫理上は人災であることをけっして免れない。
つまり原子力というものを、人間の知力によって制御可能なものとして解放した時点で、人間には絶対の安全責任というものが生じたはずである。
自然という神と対決して原子力利用を進める以上、人間だけがすべての責任を負うことになる。
それがいざ誰の責任かとなったときに、「あんな天災に遭ったらもう我々の手には負えません。だからすべて神様の仕業なのです」と平気で言い切ったのだ。
無神論者というのは都合の悪い時には神を利用することもあるのだ。
まあ、こういう人たちでなけりゃ、原発推進なんてできなかったのかもしれないが。
2011年5月18日水曜日
けっして浄化されない
原発事故が起きた福島県の隣県で、家庭菜園で自然農法を志す一市民が健気な努力をしている。
http://youtu.be/taYvTIcZuu8
コメントなどを見ても、やはり放射性物質は完全な除去が不可能であることがわかる。
これまではたとえ化学物質による汚染であっても、いずれ自然に還ることで何とか解決が図れた。
(とはいえ生物濃縮等で長期間残留し相当の被害をもたらすが)
とりあえず水に流すというやり方で何とか処理してきた。
ところが今回は水に流すと下水が汚染され、やがては海に流れて海洋汚染となる。
だから放射性物質を浴びたものはことごとく隔離され、慎重に保管されるより他に手がない。
気持ちの悪いものが溜まる一方で、そのうち置き場所にも困ることになる。
いくら有機だ、自然農だと言ったって、もうこれにはかなわない。
レベルが違う話だ。
この汚いモノが付いた土はいくら頑張っても、EMだろうがバクテリアだろうが、けっして浄化できない。
土を取り去るより他ない。
汚染された表土だけ除去すればいいらしいが、高濃度の放射性物質はまだ浮遊しているので今後も油断できない。
土作りなど空しいことだ。
聞くところによれば東京あたりからの移住者が一番多いのが福島県らしい。
定年退職後、のんびりと田舎で土いじりというところだろうが、もうそれも危なくてできない。
こんなのんきなブログを書くことも馬鹿馬鹿しくてできないだろう。
http://youtu.be/taYvTIcZuu8
コメントなどを見ても、やはり放射性物質は完全な除去が不可能であることがわかる。
これまではたとえ化学物質による汚染であっても、いずれ自然に還ることで何とか解決が図れた。
(とはいえ生物濃縮等で長期間残留し相当の被害をもたらすが)
とりあえず水に流すというやり方で何とか処理してきた。
ところが今回は水に流すと下水が汚染され、やがては海に流れて海洋汚染となる。
だから放射性物質を浴びたものはことごとく隔離され、慎重に保管されるより他に手がない。
気持ちの悪いものが溜まる一方で、そのうち置き場所にも困ることになる。
いくら有機だ、自然農だと言ったって、もうこれにはかなわない。
レベルが違う話だ。
この汚いモノが付いた土はいくら頑張っても、EMだろうがバクテリアだろうが、けっして浄化できない。
土を取り去るより他ない。
汚染された表土だけ除去すればいいらしいが、高濃度の放射性物質はまだ浮遊しているので今後も油断できない。
土作りなど空しいことだ。
聞くところによれば東京あたりからの移住者が一番多いのが福島県らしい。
定年退職後、のんびりと田舎で土いじりというところだろうが、もうそれも危なくてできない。
こんなのんきなブログを書くことも馬鹿馬鹿しくてできないだろう。
2011年5月7日土曜日
食中毒事件に思うこと
ひさびさにまた病原性大腸菌による食中毒事件が起きた。
今回は焼肉屋で出された生肉料理のユッケ(→自分は食べたことがない)が原因らしい。
どうやら最近こうした生肉食がちょっとしたブームのようだ。
だが魚の刺身や馬刺しなどを除けば、従来の日本人には牛の肉を生で食べるという習慣はなかったはずだ。
いまは何でも金さえ払えば口に入る世の中だが、食習慣というのはじつはとても保守的だ。
事件としては肉の流通過程や提供した焼肉店の衛生管理がもちろん問題視されようが、全体として不慣れな生肉食の“扱い”が軽すぎた感じがしている。
厚労省の生食用肉の衛生基準自体、O‐157の事件をきっかけにして1998年にやっと定まったものである。
“生食用肉”の表示も強制ではない。
したがって流通段階での配慮が欠ける危険性が大きい。
その流れで無造作な扱いのまま、今回のような低価格を売りにした外食チェーンでは当然調理の手間を省く(今回はトリミングという、肉の表面を削ぎ落とす作業を省いていた。“もったいない”という理由かららしい~料亭吉兆、伊勢の赤福、皆同じことを言う)ので、客は雑な扱いの危険な料理を食べさせられることになる。
われわれ一般消費者はまず値段で商品を吟味できるはずである。
だがデフレの世の中ですっかり勘を失ったせいで、何でもかんでも安けりゃいいと思い込んでしまっている。
とくに口に入るものの場合のリスクの高さには本当に無頓着だ。
有名店の看板を信頼したのかもしれない。
だから事故に遭った人たちは一方的な被害者だろう。
だが食は生命に直結するデリケートな営みだ。
たとえ一食の食事でも。
韓国料理のユッケは韓国の人たちにとっては気候風土に合致したなんらかの必然性のある食べ物かもしれないが、日本人にはまだまだ未開拓の食である。
社会全体が不慣れな、いわばバーチャルな食だ。
つくづく食をナメてはいけないと思う。
今回は焼肉屋で出された生肉料理のユッケ(→自分は食べたことがない)が原因らしい。
どうやら最近こうした生肉食がちょっとしたブームのようだ。
だが魚の刺身や馬刺しなどを除けば、従来の日本人には牛の肉を生で食べるという習慣はなかったはずだ。
いまは何でも金さえ払えば口に入る世の中だが、食習慣というのはじつはとても保守的だ。
事件としては肉の流通過程や提供した焼肉店の衛生管理がもちろん問題視されようが、全体として不慣れな生肉食の“扱い”が軽すぎた感じがしている。
厚労省の生食用肉の衛生基準自体、O‐157の事件をきっかけにして1998年にやっと定まったものである。
“生食用肉”の表示も強制ではない。
したがって流通段階での配慮が欠ける危険性が大きい。
その流れで無造作な扱いのまま、今回のような低価格を売りにした外食チェーンでは当然調理の手間を省く(今回はトリミングという、肉の表面を削ぎ落とす作業を省いていた。“もったいない”という理由かららしい~料亭吉兆、伊勢の赤福、皆同じことを言う)ので、客は雑な扱いの危険な料理を食べさせられることになる。
われわれ一般消費者はまず値段で商品を吟味できるはずである。
だがデフレの世の中ですっかり勘を失ったせいで、何でもかんでも安けりゃいいと思い込んでしまっている。
とくに口に入るものの場合のリスクの高さには本当に無頓着だ。
有名店の看板を信頼したのかもしれない。
だから事故に遭った人たちは一方的な被害者だろう。
だが食は生命に直結するデリケートな営みだ。
たとえ一食の食事でも。
韓国料理のユッケは韓国の人たちにとっては気候風土に合致したなんらかの必然性のある食べ物かもしれないが、日本人にはまだまだ未開拓の食である。
社会全体が不慣れな、いわばバーチャルな食だ。
つくづく食をナメてはいけないと思う。
2011年5月5日木曜日
正しく絶望できているか
あの地震があってから、もうそろそろ2ヶ月になる。
その前日、3月10日の日付でコンニャクの話など書いている。
震災後しばらくはさすがにショックでのんきに畑の話など書く気にはなれなかったが、いまだにそれは変わらない。
このブログは、15年ほど前に始めた畑のことを自分なりにまとめることで、現在に至る自分の拠り所を確認しておきたいという思いがあったが、たんなる思い出話ではなく、過去のエピソードにも今の自分の有り様が反映している。
(今書けば自然とそうなるだろう)
今回の震災以降、今までのトーンで畑やらの話を書けなくなってしまったのは明らかだ。
もちろん放射能汚染のことだ。
作家の辺見庸氏が震災後に、“絶望する能力”ということを言っていた。
絶望的な現実が明らかなときに、それから目をそらさずに正視することができるか、それに耐えてなお前に進むことができるか、といった意味だと思う。
今後の私たちは、まず正しく絶望することから始めなければならない。
(…かなり辺見調)
その前日、3月10日の日付でコンニャクの話など書いている。
震災後しばらくはさすがにショックでのんきに畑の話など書く気にはなれなかったが、いまだにそれは変わらない。
このブログは、15年ほど前に始めた畑のことを自分なりにまとめることで、現在に至る自分の拠り所を確認しておきたいという思いがあったが、たんなる思い出話ではなく、過去のエピソードにも今の自分の有り様が反映している。
(今書けば自然とそうなるだろう)
今回の震災以降、今までのトーンで畑やらの話を書けなくなってしまったのは明らかだ。
もちろん放射能汚染のことだ。
作家の辺見庸氏が震災後に、“絶望する能力”ということを言っていた。
絶望的な現実が明らかなときに、それから目をそらさずに正視することができるか、それに耐えてなお前に進むことができるか、といった意味だと思う。
今後の私たちは、まず正しく絶望することから始めなければならない。
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