2012年5月13日日曜日

力を抜いて“降りていく”覚悟

昨年末の投稿にて、映画“幸せの経済学”の中の最も印象的なエピソードとして、リーマンショック後のデトロイトのありようについて書いた。
それまで自動車産業で食べてきた地元の人々は、ある日突然何もかも消えた土地に放り出され、今度はまさに「食べていく」ために自ら地面を耕し種を蒔き始めた。
そして誰かが足りなければ分けあいながら、地域の仲間が皆でなんとか食いつないでいけるように支えあったという。


周防大島にも似たような話があった。

『大往生の島』

自分はまだまだ大島を知らず、こうした本などから島に接近しつつある段階なので、以下あくまで本からの引用である。
(発行年1997年12月なので、すでに15年以上経過している。この本に登場する高齢の方々の何人かはすでに亡くなられたことだろうが、ここに描かれた島の営みは今も続いていると思われる)

周防大島では高度成長期以降、外に仕事を求めて若い島民たちがどんどん島を去っていく中で、高齢者ばかりが島に取り残され、気づけば「お年寄りがお年寄りを支えて」なんとか踏ん張っているような状況になってしまった。
それでも自然の恵みによって本来島民が十分自足できる中で、お金をめぐって無闇に競い合うようなこともなく、誰もが歳をとっても自助を基本としつつ、お互いを助けあうありようがごく自然に守られてきた。

いわば島の「あたりまえ」な営みである。


デトロイトでは危機的状況に陥ってはじめて、地域がそのあり方に立ち帰ったということだと思う。
(それも自然発生的にそうなったらしい。現在の彼らにそうした過去の生活の記憶が残っているとは思えない。非常にハッピーな話のようだがごく一部に見られたケースであろう。とはいえインスピレーションを感じさせるエピソードではある)


それでは再び日本に戻って、全国各地の原発立地地域はどうだろうか?
いきなり話が飛ぶが、原発マネーでがんじがらめになった地域が今さらこんなシンプルな生き方に戻れるとはとても思えない。
(…いわんや原発自体が吹っ飛んだ地域をや…)

実は周防大島のごく近隣に、今まさにこの状態になりかかっている(すでになってしまった)地域がある。
福島の事故後、当地の上関原発計画は工事中断状態ではあるが、地域はすでにaddictiveである。
そしてなんとも象徴的だが、これに30年以上も体を張って反対運動を続けているのが、周防大島以上に高齢化の進んだ祝島(いわいしま)という土地なのだ。

祝(ほうり)の島

島本来の営みの危機を感じた島民たちが、いわば皮膚感覚で行動し続けている。
映画に描かれた抗議活動の様子は土地柄が滲み出て一見ユーモラスだが、自然体の強靭さといったようなものを確かにとらえている。

祝島の産品@アースデイ瀬戸内 

祝島も周防大島もほんとうに自然体の島だと思う。
放っておかれれば島の人々は自分たちで何とかやっていけるし、日々の生活に十分満足しているのだと思う。
さほど離島でもないせいか、あまり来る者も拒まないようである。

「ただわしらの邪魔はせんといてほしい、いらん世話は焼いてくれるな」


問われているのはこちら外側のありようだ。
島を知るにつけ、われわれ病んだ都会人自身の自我の危機が突きつけられる。
「もう限界じゃろう?どこまで続くんかのう?」

本を読んで、映画を見て、まだ痛みを感じられるうちに“降りていく”ことができるか?
肩の力を抜くことを覚え、なるべく早く降りていく覚悟を決めないといけない。

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