石風呂とは、「石を積み上げたり、岩盤に穴をうがったりして造った室の中で、薪などを燃やして燃え残りをかき出し、海水を含ませた海藻や薬草を敷き、その中で温まる入浴施設」(地家室<じかむろ>石風呂伝承会資料より)。
島を車で走っていると、所々この“石風呂”を見かけるが、古代の遺跡か文化財だろうとあまり気に留めていなかった。
外観からして、わずかに「かつて入り口だった」らしき穴が形ばかり残してあるようにしか見えなかった。
ところが体験会に参加すると、そのままあの小さな穴から人が出入りするというではないか。
熾きをかき出す伝承会の会長さん |
聞けば中には7~8人は入るという。
入り口を極力小さくして、内部の熱が逃げないようにしてあるのだろう。
あとで入ったときは、さらに口を外から塞がれ、恐ろしい感じだった。
体験会の日の早朝から、この風呂の中に薪をくべて数時間燃やし、熾き(おき=燃え残り)をかき出してから、島でとれる各種海藻・薬草を敷きつめ、上からムシロを敷いて入る。
この準備段階が何より大変である。
風呂に入る前にこのひと仕事で大汗をかくことになる。
今回はわれわれ参加者のために、その過程の一部を実演していただいた。
なにかの料理の仕度かと思われたが… |
海藻にはそれ自体の成分のほか海水の塩分も含んでいるので、これらが蒸気とともに体に入り「塩で身を清める」ことになるらしい。
その他薬草類も含めて疲労回復や保温効果などがある。
石風呂はいわば古代日本のサウナと言えるが、サウナの発祥地フィンランドでも、サウナの中でやはり菖蒲のような草で体を叩くという習慣がある。
気候風土がまったく違う土地どうしで似たようなシステム・習慣があるというのもおもしろい。
周防大島にはかつて40近くの石風呂があったという。
発祥は約800年前。ここ地家室の石風呂も約400年前からあったらしい。
大島に限らず、石風呂は瀬戸内各地に普及したものらしいが、ここ大島だけでこれだけの数の石風呂があったというのも、当時石工が多く、また各地にそれなりの規模の集落が存在していたということだ。
ほんの70~80年前くらいまでは家風呂も少なく、銭湯がわりに使われていたらしい。
そして地域コミュニティの大事な場としてしっかり機能していたのだと思う。
じっさい、中に入って参加者どうし語らうのはとても楽しかった。
当時であれば、地域の皆が体を使ったしんどい仕事のあと、ともに語り合いながら心身共に癒されていったことが偲ばれる。
こういうなにげない「いいもの」がしっかり残っているのがこの島の魅力だ。
それも伝承会の方々は皆ボランティアである。
一応参加費は取るが、石風呂の維持管理、周辺施設の整備等に当てられてほとんど残らないと言う。
われわれのような外の客が面白がって来るのだから(当日の参加者は約50名、参加費500円)、「経営」として成り立たせたらいいのにと余計なことを考えてしまうが、そんなつもりはないらしい。
続く限り続けて、来た人に楽しんでもらえたらそれだけでいいと。
ここにもこの島の暮らしそのもの、自助と地域の支えあいの伝統を感じる。
それがここの本来の「経済」の仕組みだったのかもしれない。
その継承者のお一人と期せずしてお会いして話ができたというのは貴重な経験だったが、これが少しづつ確実に失われていく寂しさも感じずにはいられない。
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