2013年12月8日日曜日

衣食住の“衣”

約1年、ブログをサボってしまった。
 
今年の金菜農園は作付けをしぼって、夏以降は(手のかからないと思われた)ダイズ・黒ササゲ豆・ワタ・さつまいもというかなり偏った編成となった。
中でも、ワタというけっして口にできない作物を酔狂にも手がけてしまった。
3年前、ワタとの出会いを書いている。
その後ここ周防大島にたどりつき、ワタの種をいただくご縁があった。
そこで、このたびは「衣の自給を目指せ」との(無謀な)目論見により、市場では貴重なオーガニック・コットンの栽培に踏み切ってみた。ワタは遺伝子組み換えのターゲットにもすでに入っている。
 
ネットの記事を頼りに、十分に暖かくなった6月中旬、遅めの種まきをした。1週間~10日ほどで発芽、その後は日照り続きで他の作物が弱るなか、わりと順調に育ってくれた。ネットで見たとおり、生育初期はあまり伸びず、その間、地中にしっかり直根を伸ばしていたようだ。
7月下旬、つぼみが着きはじめ、8月初旬にはピンクのかわいい花が咲きはじめた。
どうやら一日の中で花の色がピンク~黄色~白と変化していくようだ。種を分けて頂いた方は、この花が面白くて作り続けているらしい。

そして日照りにもめげず、8月の終わりごろにはワタの実、いわゆる“コットンボール”がポコポコ着きだした。
 とにかくこの夏は日照りと突然の雨台風などで畑の作物たちは相当参ってしまった。ワタも一時しおれかけ、風に倒された。ジョウロで気持ちばかりの水やりと、倒伏防止の土寄せ、刈り草を株元に寄せてやったりした。

9月下旬、固い実が割れ、中からワタがのぞきだす。ホントにワタがはいってる!

はじけたワタの実は雨に当たるとくしゃくしゃになってしまうので、はじけるはしから摘んでいく。思ったほどふっくらとははじけないようだ。

この秋も始まった民泊修学旅行生たちも絶好のタイミングでワタ摘みに参加した。
近所の子どもたちもワタ摘みを体験。



町から“綿繰り器”という民具を借りてきて、民泊の生徒たちはまずは摘んだワタの塊から種を取り除いた。これでとりあえずは来期の種が確保できた。

さて、次はワタをよくほぐしてから、“糸繰り器”にかけ、糸を撚(よ)る作業が待っているのだが、これはなかなか難儀らしく保留中。
さらにはできた糸を機織り機にかけて布にして、藍などの天然材料で染めにかけ…。
(以上、妄想)

ともかく、ワタは保存がきくので、しばらく次の機会まで寝かせておくことにした。


ここ周防大島という温暖な土地は栽培適地だったらしく、ほぼ放任状態でよく育ってくれた。
漫画『カムイ伝』では結構苦労していたのだが。

2012年12月22日土曜日

気づけば、幸せの経済…

しばらく自分の農園のことで頭が一杯で、友人の秋生農園さんとの交流も途絶えがちだったが、ここ周防大島はこの12月みかんの最盛期、半農半Xのわれわれは同じみかん農家さんの手伝いをすることになった。
その秋生農園にも立派なみかんの木があり、彼らが管理するようになってからはもちろん自然農栽培である。
去年その味を確認しそこなっていたので忘れないうちに届けてもらった。


みかんだけでなく、酢だいだいにかぼす、おいもまで付いてきた。
こちらからは別段お返しのつもりもなかったが、たまたま前日に収穫したばかりの秋ジャガとやや育ちすぎの水菜を味見かたがた差し上げた。

田舎暮らしではこういうことがごく自然で、ギブアンドテイクとかそんな嫌らしい?関係ではない。
気持ちの余裕が形に現れるというか、まあとりあえず差し上げて、とりあえず(有り難く)頂いておく。

そういえばわれわれは“幸せの経済学”上映会を結局やれずじまいで放り出してしまったが、気づいたら地で行っている。
この映画のビジョンを島で多くの人とシェアしたかったが、自分たちの実践で示していければそれに越したことはない。

2012年11月13日火曜日

野菜を売ってみた

関係する団体で実験的な市をやるというので、「なんちゃって」出店してみた。
継続性の全く見込めない思いつき出店なので客の反応がどうかという懸念はあったが、出す野菜自体には思いっきり自信があり、わが自然農野菜たちを地域の方々に問うてみたい思いもあった。
出品したのは、水菜・高菜・カブ・大根・小松菜。(以上、自信のある順)

葉物はともかく、大根やカブはまだ未熟な間引き菜だったので、客はやはり引いていた。
こちらとしては間引き菜の味をアピールしたかったが、田舎では野菜のもらいものも多いのでさして珍しがられもせず、自然農の“濃い味”をしきりに訴えてもどうやらあまり響いていなかった。

とはいえ、買ってくれた方々に共通して、各人の興味関心に応じて皆それなりの会話のもとに売り買いがなされたことは嬉しかった。
わが野菜たちが立派なコミュニケーションツールたり得たことは、ある意味わが意を得たりである。

 
 
自分としては今さら自然農の伝道師や宣伝役になるつもりも毛頭なく、気楽に取り組める半農半Xの手法と考えているに過ぎず(~真剣に取り組まれている方には大変失礼ですが)、むしろこういうふうに野菜を通してつながりが広がることこそわが農園の本意である。
 
固定種からの種取りのことなど、農園の栽培上のメインテーマについてももちろん理解を得たい気持ちはあるが、それ以上に農園と野菜を通じて人と人とが出会い何かが生まれること。
 
 
今回の経験で市の可能性に大いに気づかされた。
なんでもやってみるもんである。
 


2012年11月5日月曜日

間引き菜にこそ味がある

自家菜園の醍醐味はやはり間引きの菜っ葉が食べられることだと思う。
 
ここのところ連日、生育好調の菜っ葉たちの間引きに追われているが、さいわい民泊の生徒たちの人海戦術に助けられている。
摘みたての間引き菜をその日の晩飯で味わってもらえて嬉しい。
 
 
市販の野菜は、おそらく値の付く株を揃えるために容赦なく育ち遅れた株をはじく感じなのだと思うが、こちらはむしろ早く育って立派な株の方から間引いては食べている。
むしろそのほうが適度な大きさのものを無駄なく食べられるので好都合なのだ。
なかなか畑に来られないメンバーにも間引き菜を届けているが、自分としてはれっきとした“収穫”のつもりだ。
 


葉っぱを食べる水菜や小松菜、高菜などは納得してもらえるが、大根やカブとなると収穫とは言えないかもしれない。
ところがこれがむしろ大根葉やカブ葉のほうが根っこより味があるくらいなのだ。
まだ根っこよりも葉の方に栄養分がかたよっているからなのだろうか。
ともかくこれは市販の大根やカブではけっしてわからない“事実”である。
大根は根っこだけじゃなくて、ちゃんと葉っぱにも“大根葉”の味があることをもっとたくさんの人に知ってもらいたい。(もちろんカブに同じく)


菜園を訪れ間引きを手伝ってくれる彼らは幸いである。

2012年10月17日水曜日

来んさい農園

農園のネーミングはわりとあっさり決まった。

「金菜(=来んさい)農園」

こちらの方言で「おいでなさい」の意味の「来んさい(きんさい)」。
誰でも大歓迎の開放的な場所。


ここ周防大島では数年前から修学旅行生の民泊受け入れが盛んで、メンバー宅に訪れた民泊の中学生女子たちが種まきを手伝ってくれた。
農作業体験ということだったが、こちらも素人、大島の自然の中でのびのび遊んでもらえただけで十分。

メンバーの若いお母さんはいつも1歳の赤ちゃんを連れて農園にやってくる。

9月に植えた秋ジャガ


もうひとりの坊やもいっしょにほうれん草の種まき(のつもり)

ウワサを聞きつけて見学のご婦人方には、ちょうどいい具合に間引き作業が与えられ。

中学生たちが撒いた種もきれいに生えそろい…

こちらも一緒に作業の合間に冗談交じりに口にした間引き菜、しっかりそれぞれの野菜の味がしたのには新鮮な感動を覚えた。


思わぬ展開の共同農園、期待以上の“収穫”が見込めそうだ。


2012年9月12日水曜日

まずは秋ジャガ

このたび借りることになった畑はあまりに広大なため近隣の仲間たちに次々声をかけている。
皆この春以来何度かご縁を重ねてとてもフィーリングがあう面々である。


畑を借りて早々に秋冬野菜の植えどきが気にかかり、やや慌てて秋ジャガの種芋を園芸店で手に入れた。
種は原則すべて固定種とする予定だが、秋生農園さんもジャガイモは例外のようなのでこちらも倣った。

にしゆたか(メークイーン系、粘質) 4キロ
アンデス(赤ジャガ、粉質) 1.5キロ

以上、ひと家族分にはやや多め、皆(今回総勢6家族でスタート)でやるにはかなり少なめの量だが、とりあえずこれで始めることにした。

植えつけ日を決め、前日に大きめのやつを半分に切って乾燥させておく。
当日は4人が集まり、まずは空いた場所にウネを作る。ジャガイモは水はけをよくするため、やや高ウネとした。

 
自然農は元肥など入れずいきなり植えつける。
ひと穴ひと穴ていねいに種芋を植えつけていく。
切った芋は切り口から芋自体の水分によって腐ることもあるので、やや斜めに傾けて埋めるなど非常に細かい配慮も。


最後は刈った草や蔓を上からかぶせてなるべく乾燥を防ぐ。


この夏はほんとうに雨が降らず、畑の土も砂のようにカラカラ。
翌々日、ほんとうに久々の雨が降ってくれたがその後また晴天つづき。
発芽できるのか心配で、今日の夕方からしばらく朝夕水やりすることにした。


今回自然農の心得がある一人と作業をしたが、性格もあるかもしれぬが非常にゆったりしたペースでひとつひとつをていねいに進めているように見えた。
畑に入ったときは土の質と草の種類などをていねいに観察し、ジャガ畝には豆類らしき草を残しさえした。
こちらが頑張っているように見えるとまあ休めと言う。

これまでひとりで畑と向きあってきたが、こうして人と触れあいながらの畑もよさそうだ。
ひとりでは見過ごしてしてしまうようなことも、誰かの思わぬリアクションで学びにつながるような気がする。
もともとナチュラルな雰囲気の面々だが、畑ではさらに“素”に戻り、いきいきと輝いてくれるような気がしている。

2012年9月2日日曜日

再始動

このブログを始めたのは、菜園を中断しこれからの方向性を探っている時期だった。
書いてきた内容は過去の回想と反芻、記憶の整理の中から生まれてきた思索の展開。(拙い内容だが…)
そのうち土いじりとはまったく?かけ離れた展開になっていったが、思いつきのタイトル「東京を離れて」に自分自身が触発され、自分の“根っこ”を求める旅の様相を呈してきた。

そんな思索の旅も、ご縁のつながりでひとまず着地点を見出すことができたようである。
7月に移住を果たしたあこがれの周防大島の地にけっこう広大な一区画を借りられることになった。
土地は大島としてはごく当たり前にミカン畑だったらしいが、耕作困難となり木を撤去後約10年放置されており、こちらにとっては非常に理想的な状態でバトンタッチされたわけである。

重機で刈った雑草の山

敷地内には鬼太郎が住んでそうな廃屋も

そこでこの際思いきって自然農に挑んでみたいと思う。
幸いまわりにはその道の諸先輩方が揃っているので、彼らも巻き込んで実験農場にしてみたい。

自然農の畑からのおすそわけ
自然農一家のその後
秋生農園訪問
人生は暇つぶし

どこまで人の手を入れずにガマンできるか、ある意味ゼロからのスタートになる。

それなりの規模なので未経験の果樹などにも挑戦してみよう。
梅やあんず、ブルーベリー、それから大島で最近注目され始めたオリーブなど。

そして何より、現在築きつつある地域のコミュニティの一拠点となれば面白いと思っている。
コミュニティ作りにもいろいろあると思うが、自分はやはり食を基本としたつながりが第一と考えているので、この畑で長年のテーマである地域自給への第一歩をまず身近な仲間うちからじわじわと広めていきたい。
自然農のセオリーには反するかもしれぬが、生ゴミ処理なども大らかに受け入れていければ。


これまでひとり淡々と畑に向き合ってきた経験の何がしかが、これからここで活きてくれれば幸いである。
15年(正確には16年になる)、ようやく何かが動き始めた。